アラスカへ行った話です1998








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目次

1.はじめに
2.ドロンズのお話
3.アラスカへの旅立ち
4.靴の難
5.暖かいアラスカ?
6.アラスカというところ
7.オーロラ観測
8.オーロラは何?
9.オーロラは感動
10.「温度計付きの腕時計」の活躍
11.オーロラの撮影あれこれ
12.オーロラ観測...2
13.オーロラ観測...3
14.ホテルのこと
15.チェリー味
16.アラスカで見た動物たち
17.トナカイのスターちゃん


18.アラスカからインターネット
19.マッキンリィ山を見たこと
20.スキーツアー
21.アラスカの治安の良さ
22.チェナ温泉でのできごと
23.犬ぞりに乗ったこと
24.飛行機のチケットのトラブル....行きも帰りも
25.飛行機、帰りのトラブル
26.飛行機、帰りのトラブル?その2
27.冬のアラスカの自動車
28.今回の旅行で見た星々...1
29.今回の旅行で見た星々...2
30.今回の旅行で見た星々...3
31.美味しかった食べ物
32.眠れない旅行? 眠らない旅行?
33.あとがき



はじめに

 1998年1月31日〜2月5日の日程でアラスカへ行って、 オーロラを見てきました。 これはその旅行をつづったものです。

 アラスカはアメリカで一番北にある州です。 その中央にフェアバンクス(Fairbanks)という町があります。 ここに滞在して、オーロラを観測しました。

 アメリカへはこれで5回目の旅行なので、ぜんぜん心配はなかったのですが、 やはりとっても寒いところへ行くので、あれこれ準備が大変でした。

 でも、おかげで、とっても素晴しいオーロラを見ることが出来ました。 地元の人も「昨夜のすごいオーロラを見たか?」の話題で持ち切りだったようで、 とっても素晴しいオーロラだったようです。 オーロラが見えていた約2時間、まるで夢を見ているような幻想的な世界が頭上に広がっていました。 今でも寝る前などにあのオーロラの情景を思い出したりしています。(自己陶酔モード....)

 ついでにというか、重たかったけど、頑張ってカメラを持って行った甲斐があり、 なんとか写真を写すことが出来ました。実際、星を撮るのと大して変わらないは ずなのに、妙に興奮してシャッターを切ったため失敗作もありましたが、まず まずの作品?となりました。

 アラスカは思っていたほど寒くなく、 厚着やらカイロやらの準備のおかげで大変暑い?旅行となりました。

 オーロラを見た場所は、アラスカ州のど真ん中、フェアバンクスという街です。 結局、一番寒くてマイナス25度、最高マイナス5度程度ですが、 空気が乾いているせいか、肌に刺さるような寒さはありませんでした。 うまく表現できませんが、(広島県)比婆郡高野町の寒さと同じくらいといった感じでした。

 このフェアバンクスに滞在中3晩ともオーロラの観測に行きました。 結局、最初の夜1月31日〜2月1日にかけてのオーロラが一番すばらしかったです。

 また、昼は、スキーをしたり、温泉(なぜかあるのです。)に入ったり、 いぬぞりに乗ったり、いろいろ遊んでしまいました。 森の中のスキーはなかなか心地よく、客も非常に少なくて、雪も良かったので、 いつまでも滑っていたい気分でした。

 あっという間の旅行でしたが、オーロラも自然も何もかも自分にとって大変素敵なところでした。 また近いうちに、もう一度行こうと思っています。
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ドロンズのお話

 そうそう、アラスカと言えば、昨年の97年に「ドロンズ」という2人組が、 ヒッチハイクで南米アルゼンチンからアラスカまで行ったのを知っていますか? テレビの番組の企画でした。猿岩石はアジア〜ヨーロッパを旅しました。 第2弾だったわけです。

 フェアバンクスと言う街は2人の旅のゴールの少し手前の街です。 (といっても、まだ200キロありますが...) ちょうど97年12月に、ドロンズの2人がこの街を通っているときには、 地元でも新聞の紙面を賑わしたらしいです。

ヲドロンズの1年2ヶ月の奇跡ホームページから



 翌日出発するときに昨日使ったサンタクロースの衣装をプレゼントされる。 この目立つ格好でゴールを目指してヒッチハイクを再開する。

 どうにかフェアバンクスに到着したドロンズの2人はゴールのある エンド・オブ・ザ・ロードを掲げてヒッチハイクをする。
 マイナス27度という極寒の中、防寒着の上にプレゼントしてもらった サンタクロースの衣装を着ても耐えられないほどの寒さだった。
 寒さにどうにか耐えながらも2時間後、1台の車をヒッチハイクする。

 マゼラン海峡をスタートから424日目、2人一緒にゴールラインを越え 長かったアメリカ大陸縦断ヒッチハイクの旅は終わった。
 2人がゴールした97年12月末の頃は非常に寒く、フェアバンクスをはじめ アラスカ中央部では本当にマイナス45〜50度だったそうで、 大晦日のゴールの時、あの二人がサンタの格好をして顔中に氷(つらら)を 付けている様子を見たときは、大変なところへ行くんだと覚悟していました。

ヲドロンズも通ったThe End Of The Roadへの道。スキーツアーの帰り道で撮影しました。
(98年2月1日17:30 カメラ:DS7)

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アラスカへの旅立ち

 今回の旅行はJTBが募集するツアーで、費用は4泊6日で138,000円。 これには、往復の飛行機代、ホテル4泊、飛行場〜ホテルの送迎、 スキーロッジでのオーロラ観測1回分の送迎、4日間の無料のレンタル防寒着のパック料金でした。

 無料のレンタル防寒着は、防寒上着、防寒ズボン、防寒靴、ムートンの手袋の4点セットでした。

 この他、現地で申し込んだオーロラ観測ツアー($70)、チェナ温泉ツアー($135)、 スキーツアー($95)、食事代金、国内移動旅費、保険、写真代金、新規購入の防寒着等で 約10万円の出費でした。

 今回の旅行の為に新しく準備したものは、服では、ダウンジャケット (ヴィクトリアで16,800円)防寒カッパのズボン(三次の作業着屋さんで3,800円)、 ひざまでの長いジャンパ(住吉屋2,980円)です。 靴は持っていた防寒靴ですが底があまり厚くないので、寒いところで長時間は難しいかな と言ったところです。

 荷物はこれら防寒着、カメラ4台、三脚、それからMac一式(一式とはあとで説明します)、 これを、スーツケース2個、20kg&30kgにもなりました。つまり、合計で50kgという訳です。 中身はちょっとずつ紹介していくと思います。

 98年1月31日午前、(広島県)三次を出発し、昼に新大阪へ、そして関西国際空港に着いたのが、 午後2時でした。

 ここで、この後に待ち構える「靴の難」のお話を...今回の旅行では、靴も忘れられないアイテムとなりました。
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靴の難

 さぞ、寒いだろうと、防寒対策しっかりと、厚めの靴を用意したわけです。 しかし、思った程は寒くなかったため、たいへん暖かい靴を履いていた訳です。 さらにその上、靴下まで履くわけですから、非常に暑苦しいものとなってしまいました。 特に空港内での移動中は、そこらで脱ぐというわけにもいかず、足は蒸れ蒸れサウナ状態。

 それでも、多く歩き回る必要のない、飛行機の中や、ホテルの部屋では、用意したスリッパで、 何とか難を逃れたわけです。

 と、実は、地獄の苦しみを何時間も味わわれたのは........私以外の人たちだけだったのです。 え?じゃあ、ながしまは?どうなったの?

 は〜い、私は、夏にはいつも愛用している「つっかけ=サンダル」履きで、快適な旅行となりました。

 出発の1月31日の朝は、三次も寒かったので、防寒用長靴を履いていたのですが、 あっけなく関西空港でギブアップ!持参していた、「つっかけ」に履き替えて 他のメンバーを待ちました。出発の関西空港から私はすでに「つっかけ」モード。
みんなは「足が暑い.....」

 そのまま、フェアバンクスの空港まで「つかっけ」でした。とうとう、帰りも「つっかけ」で、 飛行機の旅を快適に過ごしました。

 大阪の出国の手続きから始まって、フェアバンクスの空港に着くまで、 それから、帰りはアンカレッジから三次までそのつっかけでいた訳です。 国際航路の飛行機を「つっかけ」で乗り降りする人もあまりいないですね。



ヲフェアバンクスの街角。
フェアバンクスでの最終日、早朝に近所のスーパーへ買い物に行きました。
駐車場の看板です「注意、早いと跳ねるよ。時速5マイル」 (98年2月3日 am9:30 PENTAX SuperA
SMC50mmF1.4→2.8 FUJI ASTIA→PhotoCD)

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暖かいアラスカ?

 このフェアバンクスの空港に到着したのが1月31日午後6時(日本時間2月1日昼12時)、 空港の外に出て見ると。ん? 思ったより暖かいぞ!

 ガイドの人に聞いて見るとマイナス10度C位......... (広島県)比婆郡口和町や高野町の寒い時位じゃないか!

 年末の頃はマイナス40度であった気温も、1月20日くらいから急に暖かくなったらしく、 私が行ったときは、結局それほど寒くなかったと言うわけです。マイナス5度ということもありました。
 また、夜10時にオーロラを見に行った時も、それ程寒くなく、頭丸出しでもOK。 コンビにで数百円売っている毛糸の手袋で、カメラの操作、しかも、試しに素手で 金属にさわって見ました。(良い子はまねしないでね)何もおこらない....

 と何だかんだで、この暖かさが旅行の最後まで続きました。



ヲスキー場の夕暮れ。楽しいスキーも
日暮れとともに終わりました。
(98年2月1日pm4:30 カメラ:DS7)

 さらに、2月4日に帰りの乗り継ぎのために立ちよったアンカレッジでは日中がプラス2度、 道の雪が溶けて車がぐちょぐちょになっています。 まるで(広島県)三次でみられる光景、夜はマイナス2度とそんなに寒くない。 う〜んこれも、三次と変わらない。

 帰国したら3キロ痩せていたのは、常に厚着でサウナ状態、しっかり汗をかいたようです。

 まぁ喉も良く乾くので、チェリー味のドリンクでもおいしく頂けという訳です。

 友だちから「バナナで釘を打ってこい」と言われましたが、 残念なら目的を果たすことはできませんでした。
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アラスカというところ

 今回の旅行でアラスカに行くまでの、私の「アラスカ」イメージは、あたり一面雪or氷で、 エスキモーの人が、毛のふわふわした上着を着て、丸いドームの形をした「氷の家」に住み、 猟をして暮らしている。そして、交通手段は犬ゾリ。 といった印象でした。これは、はっきり言って偏見そのものでした。

 北極圏や本当に人の少ないごく限られた地方には、小数ながらこういったエスキモーの 文化や伝統を守りながらの暮らしを続けている人が居るそうですが、ほとんどの所が普通の アメリカの街と変わりありませんでした。 もちろん、アンカレッジやフェアバンクスなどはスーパーもガソリンスタンドも、 ケーキもチェリー・コークもある普通のアメリカの街でした。



ヲフェアバンクスの街並み。車もコンクリートの家もあります。
(98年2月3日 am9:30 PENTAX SuperA
SMC50mmF1.4→2.8 FUJI ASTIA→PhotoCD)

 物価はというと、生鮮野菜が、ワシントン州、オレゴン州、カリフォルニア州などから 空輸されてくるために少し高い程度です。それ以外のものは、スーパーなどでは カリフォルニアと大して変わらなかったです。安い高いといってもアメリカの地域どうしで 比較するのであって、日本の物価と比べたら、むしろ安いくらいです。

 なによりも驚いたのが、tax(消費税)が0%ということでした。

 カリフォルニア州が8.5%、十数%の州もあるそうですが(日本は5%) アラスカは石油がとれるから、州の財政は足りているらしいとのこと。 消費税が無いぶん、支払い金額でいくと、十分に安いと言えるのではないでしょうか。

 空気も綺麗だし、犯罪も非常に少ないらしいので、私にとっては楽園に見えてしまいました。 (気温がマイナスの世界ももちろん大好きです)つまり、また、行きたくなったと言う訳です。


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オーロラ観測

 オーロラの観測には、3晩トライしました。  ・1/31〜2/1(スキーロッジ)最高のオーロラ
 ・2/ 1〜2/ 2(スキーロッジ)まずまずのオーロラ
 ・2/ 2〜2/ 3(チェナ温泉)雲の隙間に...

 最初の日の観測は、1月31日22時(日本時間2月1日午後4時)に出発で、ホテ ルから車で30分、約50kmのところにあるスキー場へ行きました。

 現地へ着いたら22:30でした。空を見ると厚い雲の中にぽつんと星が一つ。これ じゃ見れないと思いつつ、ロッジ(小屋)へ入って、暖かいココアを飲んでいまし た。


ヲスキーロッジ。
スキーロッジはこんな建物です。日曜日の 昼にはスキー場も営業しているので、サンドイッチなどのス ナックなどあります。ここのココアは体がとってもあたたま ります。(98年2月1日pm1:00 カメラ:PENTAX SuperA/SMC28mmF2.8/8 フィルム:FUJI ASTIA→PhotoCD)
 それでも、一応準備と思い、カメラに例の白金懐炉を装着、準備は万端。

 23時過ぎ、「星がたくさん出ているよ」との声で、星でも見ようと思い外へ出ま した。

 空を見ると、ほぼ満天の星空。しかし、少し様子が変でした。あきらかに雲とは 違う白いぼんやりとした筋が、北の地平線から、頭上を通って、南東の空へと続い ていました。「あれ、オーロラじゃない?」

 それから10分もしないうちにその白いものがどんどん明るくなってきました。 時計を見ると23:30。どんどん明るくな
り、次第に薄い部分や濃い部分がうねってきました。

「やったぁ!本物だぁ!すごいぞ!」、必死でシャッターを押しながら、空を眺め ていました。


ヲスキーロッジから見たオーロラ。北の地平線からのびてき たオーロラのすばらしい1コマです。(98年2月1日午前0時30分 カメラ:PENTAX ME-Super/SMC28mmf2.8/開放/120秒 フィルム:FUJI SuperG800→PhotoCD)

 明るくなったり、広がったり、曲がったり、渦を巻いたり、降ってくるように揺れ たり、休む間もなく(私もオーロラも)時が過ぎてすぎきました。

 光の帯は、徐々に「カーテン」の姿となってきました。それと共に激しく動く ようになり、全体が大きく西へ移動しながら、まるでカーテンが波打つように、揺 れます。しばらくすると、今度は霧雨が降るように、光りが上下しています。

(と、言葉ではなかなか表現できません.....)一番明るいときは、動きも激しかっ たです。

 その明るさは、かなり明るかったです。
 例えば、天の川よりも明るいとか三日月よりあかるいとか、 しかし文字が見える程ではなかったです。 もしかしたら、雪の上に影が出来るかと思っていましたが、光っている部分が大きすぎるため、 つまり、月明りのような、点の光源でないため鮮明な影も出来ませんでした。 やっぱり言葉での表現がむずかしい...




ヲ姿を刻々と変えるオーロラ。
飛行機雲が風に流されて、形を変えるより早く、その姿は変化していきます。(98年1月31日 23:45,24:10,24:30)

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オーロラは何?

 オーロラの光は上空100km以上のところで光っています。

 太陽は、水素やヘリウムの核融合のエネルギーで熱や光を放っています。 この水素やヘリウムの原子が、時として勢いあまって、宇宙空間に放出されます。 これが太陽風と呼ばれております。

 この原子の流れは、約40時間で地球の近くまで飛んできます。 (ちなみに太陽〜地球は1億5000万kmあります。光は8分19秒で届きます。 太陽風の速度は、時速375万km = 秒速1000km )そのときに、地球の磁力にとらえらえ、 つまり、北極と南極附近に集まってくるというわけです。

 さらに地球に近付くと、高度約500km〜100kmのところで、大気中の分子と衝突して、 そのエネルギーの一部が光となるわけです。 これがオーロラと呼ばれるものです。
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オーロラは感動?

 感動のオーロラ話は、ともかくとして、何を書こうかな、じゃなくて、 そろそろ何をばらそうかな...といったところですね。 オーロラは感動してみるだけじゃないということを...

 そう、私はカメラマンの使命を果たそう(?)と必死になっている横でのできごとを。

 オーロラを見た場所は、見晴らしのよいスキー場でした。もちろん雪がたっぷりあり、適度な斜面。

 私は、カメラの防寒袋として、カメラのサエ◯、家電のデオデ◯、フタ◯図書メガ、 スポーツのビクトリ◯ etcの30cmサイズのビニールの袋を持参してしておりました。 な、なんと、みんなは、その袋を奪い取ると、それに座って、つるつる〜  と滑り始めたでは有りませんか.......... もちろん、私はオ〜ロラに感動しつつ、シャッターを必死に押し続けていたことは 言うまでも有りませんが。

 そうそう、そういえば、忘れていましたが、今回のこの滑走で分かったことがあります。 雪の上で良く滑るのは デオデ◯、サエ◯、まずまずが、ビクトリ◯。 全く滑りが悪かったのが、フタ◯図書メガの緑色の袋です。

ヲ幾重にも広がり、うねり、輝く魅力的なオーロラ。
一番激しく光り輝いているときのものです。
(98年2月1日 am0:00 カメラ:PENTAX ME-super/SMC28mmF2.8 開放/60秒 フィルム:FUJI SuperG800→PhotoCD)

 それと、オーロラを見ている最中、あちらこちらから、「ヒュ〜」という音が聞こ えてきました。当日、このスキーロッジにはJTBのツアーできた数名と近畿ツーリ ストの数十名の日本人が集まっていました。まさに日本人だらけです。

 問題の「ヒュ〜」という音は口笛の音でした。1月の中旬に北欧のオーロラの番組 をテレビでやっていました。この時、ここへオーロラを見にやってきた人は、たい ていの人がこの番組を見たのではないかと思います。

 番組の中で、北欧のオーロラにまつわる話として、オーロラは「縁起が悪いも の、恐いもの、そして、口笛を吹くと近付いてくる。」という紹介がなされていまし た。

 この口笛で、すばらしいオーロラがやってきたかどうかは分かりませんが、 まぁ、それでも静まりかえっている中の口笛はけっこううるさいものでした。


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「温度計付きの腕時計」の活躍

 夜にオーロラを見たわけですが、もちろん天気も良く、気温も大変下がってお りました。

 例の滑走の合間、オーロラに感動しながらpaulさんからお借りした「温度計付 き腕時計」はせっせと気温?を測り続け
ておりました。

 「ちょっと、今、何度かな?」のかけ声と共に皆で、その腕時計を覗き込む....
 「あれ〜?5度よ!」 「ん?」
 「もしかして、時計がまだ冷えてないよ」
 「もっと冷やさなきゃ...」
  (しばらく時間が経過した後)
 「やっぱり、変わらないよ?」

 私は、オーロラの写真を撮りながら、横で見ておりましたが、最初の様子は、体温 と気温の平均を一生懸命測っていたようでした...

 そのあとの様子は、雪の中に突っ込んだり、振り回したりと、せっせとその腕時計を 凍らしておられました。

 さぞ、その腕時計は寒かった事でしょう。結局、気温が何度だったか私にはわか りませんでした。

ヲ世界の天気予報のWeather Undergroudのホームページ [http://www.wunderground.com/US/AK/Fairbanks.html]の画 面です。この画面は1998年2月1日午前3時53分現在(日本時間2月1日午後9時53分)の フェアバンクスの天気の様子です。スクリーンショットの時刻は10:29PMになっています。

 1回目のオーロラ・ツアーから帰ってすぐインターネット にアクセスして、画面をキャプチャしたのが、午前4時30 分(日本時間2月1日午後10時半)です。天候は晴れ(Clear)、風は無風(Calm)、気温は2F(摂氏-17度)です。
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オーロラの撮影あれこれ

 また写真撮影に際しては夏でも冬でも、夜間にはレンズに「露」が尽きます。とこ ろが比婆郡では気温が氷点下になることは、しょっちゅうで、つまり、そのまま 凍って「霜」となってしまいます。(何度も経験済み)

 その「露」対策としてこれまで使い捨てカイロで対応していましたが、インター ネットなどでよく調べてみると、アラスカのように非常に低温の所では、中の粉 が固まって、すぐにダメになるそうなので、白金カイロなどでないと効果が無い とのことがわかりました。

 そこで、さっそく広島の東急ハンズに行きましたが、取り扱いが無いとのこと でした。

 ところが近所の三次のスーパーでは簡単に見つけることができました。まさに 田舎の特権ですね(何が....?)田舎の人はまだまだ白金カイロを使用しておられ るようですね。

 実際に撮影するときは、それほど寒く無かったので、使い捨てカイロでもよ かったくらいでした。写真はかなり撮ったつもりでしたが、なかなかきれいに撮 るのは難しいです。
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オーロラ観測...2

 2月1日の22時からもオーロラを観測に行きました。昨夜と同じ場所のスキー ロッジです。この場所へは昼にもスキーをしに来たので、結局3往復したことにな ります。

 この夜は昼間の快晴がそのまま続き、星空は最高の眺めでした。

 22:30にスキーロッジへ到着、そして23時頃ふたたびオーロラがあらわれました。

 しかし、残念ながら北の地平線のすこし上にコンパクトな形で出現しました。 もちろん頭上まで到達するほどのものでなく、昨夜のと比較すると、非常に小さく あっけないものでした。

 とは言うものの、おそらく北極圏まで行けば、頭上ですばらしいオーロラが見
えたことでしょう。これも1時間程で薄くなっていきました。

 昼にスキーをしに来たので、同じゲレンデでオーロラを見たことが印象的です。

ヲ2晩目のオーロラ。
カメラに入りきらないほどの大きさだった、初日のオーロラより、こちらの方が、小さいために 写真での写り具合はよいかも知れません。 (98年2月2日am0:15 PENTAX ME-F/SMC50mf1.4 開放/120秒 FUJI SuperG800→PhotoCD)


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オーロラ観測...3

 3晩目のオーロラはチェナ温泉の山の上の展望台へ行きました。キャタピラのあ る雪上車(SnowMonkey)で、温泉から片道約40分のところにあります。たしか$60を 払いました。

 天気は薄もや、オーロラの出現を待ちました。だんだんと雲が厚くなり、その切 れ間にすこし光っている部分があるかなと言った感じでした。光っている場所が、 昨夜と同じ北の地平線の少し上で、同じような形で光っているのでまぎれもなく、 オーロラでした。

 しかし、感動と言う程のものでなく、みんな適当にわいわいがやがややっていま した。花火を打ち上げる人もいました。私達は雪に寝転んで「しりとり」をやってい たというわけです。

 幸運にも3晩ともオーロラを見ることができました。思い残すことが無いくら いいい体験をしたと思っています。やはり、オーロラは美しいものでした。
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ホテルのこと

 フェアバンクスでは、 ウエストマークス(Westmarks,Fairbank)というホテルに3泊しました。

 アメリカの普通のホテルといった感じでした。ちょうど改装中でしたが、私の部 屋は臨時に615となっていました。

 とここまで書けば6階かなと思われるでしょうが、実は旧館の15号室というこ とでした。2Fです。まあ、フェアバンクスは5階立てくらいが一番高い建物だろ うと思います。新館はまだペンキ塗りたてならぬ、ペンキ塗り中だったのですが、 よりきれいなホテルに変わっていました。

 宿泊料金はwebで見ると、冬期:$64 〜 $119 夏期:$109 〜 $189。やっぱりちょっと高級ですね......

 このホテルには。500mlペットボトルのチェリー味ドリンクなど$1.50の自販機も 置いてあり、これはドル札OKでした。もちろんお釣りも出てきます。

 それよりも不便だったのが、郵便切手の自動販売機でした。日本の友人へ、現地 の絵はがきを買って、エアメールを...と
思ったのですが、日本(海外)へは¢50ですが、自動販売機には¢20切手(ドメス ティック)¢32切手(カナダ、メキシコ等)の販売だけで、¢50切手の販売はな かったです。結局スマートでないですが、¢20+¢32=¢52分の切手を貼って出し ました。

ヲフェアバンクスのウエストマークス・ホテル
http://www.westmarkhotels.com/wm_fa_1.html

 2月3日のアラスカ最後の夜は、アンカレッジで一番の高級な キャプテン・クック というホテルへ泊まりました。

 私の部屋は1442ですが、13階でした。アメリカは13を避ける国なので、12の次が14になります。

 部屋から見る夜景は大変きれいで、今まで見たホノルル、サンフランシスコ、ラスベガス、 ロサンジェルスのどことも、引けをとらないきれいな夜景でした。料金も$100はするのではないかと思います。

 ドロンズもゴールのあと日本への帰国前にこのホテルへ泊まったそうです。

 どちらも、素敵なホテルに恵まれて、なかなかよかったです。

ヲキャプテン・クック・ホテル

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チェリー味

 私がアメリカへ行く時の楽しみの一つに「チェリー味」の飲み物...というのが あります。もう日本ではなかなか手に入らない「ドクター・ペッパー」をはじめ 「チェリー・コーク」や、今回初めて見た「チェリー・ペプシ」などなどです。 幸運にもこの3種類全部を飲むことが出来ました。

 この「チェリー・ペプシ」を見るやアメリカでの根強いチェリー人気がうかがえます。 相当飲みまくってしまいました=もう当分飲まなくてもいいです。と、こう書く と、いかにもながしまはチェリー味が好きなんだろうと思われるかもしれません が、実は嫌いなのです。日本では絶対飲もうと思いません。

ヲウエストマークスのホテルの窓からみた朝もやの風景。
チェリー・コークを飲みながら、この景色を眺めました。
(98年2月1日am8:00 カメラ:PENTAX SuperA/SMC28mmF2.8/5.6 フィルム:FUJI ASTIA→PhotoCD)

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アラスカで見た動物たち

●ヘラジカ(moose)

     一番印象に残っているのは「ヘラジカ」です。Mooseと書いてムースと発音します。 現地からのレポートでもお届けしましたが、黒い大きなシカです。(多分、動物学 では牛の仲間では?)その大きさは、うちにいる牛より一回り大きく、さらに馬よ りも大きかったです。一言「でかかった!」

     人が近づくと逃げるらしいが、子供が
    いると警戒して、逆に人に襲いかかることもあるらしい。フェアバンクスの町か ら車で5分くらいの山には、どこにでもいるらしく、旅行のあいだ何回も目撃しま した。ちなみに冬の間は、オスもメスもあの立派な角は、落ちてなくなってしまい、 とうとう角のあるヘラジカは見れませんでした。

●カラス(graven) 

     日本よりも一回り大きな黒いカラスです。現地ではgravenとよび、crowとは別 の鳥だそうな。(たしかにカリフォルニアで見たcrowは鳩と同じ大きさでした。)日 本と同じく群れをなして、道端で何かをつついていました。gravenは辞書では「ワ タリガラス、大ガラス」ともなっています。ちなみにcrowは見ませんでした。

●トナカイ(calibou,reindeer)

     やっぱり、これ抜きでは今回のアラスカ・ツアーは語れません。

     アンカレッジの町中のとある民家の一角に1頭のトナカイが暮らしていました。 その名は「star」スターちゃんとよばれています。

◎とうとう見れなかったもの
 ・熊(白熊) 残念ながら皆様に心配していただきましたが、熊には遭遇しません でした。
 ・あざらし 海にはいきませんでしたので、これもだめでした......

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トナカイのスターちゃん

 「地球の歩き方・アラスカ編」というガイドブックに簡単な紹介が載っていました。

 アンカレッジの街には、なんか、かわいいトナカイが飼われているところがある らしい...そのトナカイの名は「Star:スターちゃん」です。

 2月4日、アラスカでの最後の夜となりました。キャプテン・クックのモニュメン トを見に行こうと思いついたのが20時でした。もうすっかり暗くなっていたので、 フロントで「夜に出歩いても大丈夫か?」と尋ねました。「キャプテン・クックの記 念碑は、すぐそこだからだいじょうぶ。」との事。続いてフロントの人が「それより も、トナカイがいるから、そっちの方がもっと面白いかも。行ってご覧なさい。」

 トナカイのいるであろう場所に着いたのは21時近くでした。さすがに、トナカ イは、もう寝ているだろうと思いつつ、大話をしながらそこまで行きました。

 きらきらと電球で飾られた小屋から、なんと一頭のトナカイが、我々の声を聞 きつけて愛想?をふりまきにやってきました。(多分)

 とってもかわいい(と思われる=暗かったので、詳細不明..)トナカイでした。し ばらく、そのトナカイはキョロキョロしていましたが、また小屋へ入って行って しまいました。(今、考えると「餌」がなかったなぁ...それですぐ入ってしまった んだ)

 ちなみに、このスターちゃんは、この家の人が飼い始めて3頭目のトナカイだそ うで、1頭目は、観光客のやる餌に、ビニールの袋があって、間違って飲み込んでし
まい窒息死。2頭目は、泥棒に誘拐されて食べられてしまったそうです。3頭目が現 在のです。(トナカイも食用になるのですね...)

ヲアンカレッジのキャプテッン・クック・ホテルの前のイルミネーション。
アンカレッジの街は2月だと言うのに、まだどこもクリスマスのままのイルミネーションで一杯でした。 私達が泊まったホテルの前のイルミネーションもなかなかきれいでした。
(98年2月4日am3:30 カメラ:Canon フィルム:FUJI SuperG400)


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アラスカからインターネット

 今回いろいろと頑張って準備したものの一つにインターネットを利用して、 Ann-net、E-mailをアクセスしよう、という試みでした。 別にビジネスで必要と言うわけでなく、地球はインターネットで繋がっているということを確かめてみた かったのです。(確かめるまでもないかもしれないが..)

 だから、ぜひ現地のアクセスポイントから入ってみたかったのです。
 ・利用したプロバイダ:America On Line(AOL)
 ・アクセスポイント:アンカレッジ

 1月31日、ホテルに着くと、すぐに電話器を確認、「おお、モジュラじゃん。」 さっそく、持参していた小形の電話器を繋いでみる。 外線は「9」なので、さっそく9を押して、AOLのアンカレジのアクセスポイントの電話番号へダイヤル。 しばらくすると、アクセスポイントのモデムが反応して「ピ〜ピ〜ピ〜ガ〜ガ〜ガ〜ガ〜」が聞こえる。 「やったぁ、これでインターネットができるそ!」

 さっそく第1回目のアクセスは、1月31日20時(日本時間2月1日14時)Ann-netへ 「アラスカからこんにちわ」と題して書き込みをした訳です。 それから連日、夕方と、夜中と早朝に日本へ向けてメッセージを送り続けたというわけです。

 問題は、日本との時差です。オーロラ観測から帰ってくるのが、朝の2時3時でした。 これは時差を計算すると、日本では20時21時...大勢の方から、チャットのおさそいや、 リアルタイム・メールを頂きました。

 さらに朝5時まで寝ないで、やってしまったので、日本では23時、そうテレホーダイの 時間になってしまっていたわけです。大勢の方からチャットの申し込み.... ぜひ、チャットもできるかぎりやりたかったのですが、もう睡魔と戦いながらのアクセスでした。

 技術的なお話

・メモリのこと
 PPPをAOLを利用してやったのですが、Duoのメモリが少なかったため FirstClassやNetScapeを立ち上げて、AOLを起動すると、メモリ不足のため に、DNS情報をDuoがうまく処理できなくて、DNSエラー頻発。これに気が 付くのにちょっと時間がかかってしまった。
 AOLを起動してから、PPP接続、そのあとにFirstClassやNetScapeを起動 するとうまく行きました。

・電話のこと
 現地へ付くまでホテルの電話の状態が不明だったので、スパイ道具? を持参しました。
 なぜ、電話まで持参したかというと、ホテルなどの電話は、場合によっ ては電圧がかかっている、極性が反転している。などあります。 極性反転は繋がらないだけで済みますが、電圧がかかっている場合はモデムを壊 します。チェックのために電話器まで持参しました。
 結局、ホテルの電話器をバラす覚悟で行ったのですが、モジュラを差 し替えて、普通の外線発信だけでできました。あっけなかったです。

[使わなかったもの=これがスパイ道具...]
 ドライバ(精密やトルクス含む)、ペンチ、テスタ、 ハンダ、ケーブル、モジュラコネクタ(メス)、電気用のクリップ

[使った物]
モジュラの3又ソケット、ケーブル(電話用のモジュラの付いた)捨ててもよい小形の電話

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マッキンリィ山を見たこと

 北米大陸で一番高い山は、マッキンリー山(Mt.Mckinley)で6,194mあります。 アンカレッジとフェアバンクスの中間点あたり、ロッキー山脈でいえば、北の端の方です。 たしか、探検家の植村直己さんが、眠っておられるがこの山だったと思います。

 2月1日は、朝から快晴でした。スキーにいくことになりました。 ガイドさん(Mr.Logan)が「今日は天気がよいので、マッキンリー山が見えるよ」と教えてくれました。

 スキー場に行く道(ドロンズも通った道)の途中で、展望台に行きました。7 はるかかなた(250km)向こうに
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 こんな感じで見えました。写真などを見ると、この山だけ突き出た感じです。

 また、このあと北極から石油を運ぶパイプラインも見ました。直径1m程度の管でした。 何千キロも彼方の北極海からつながっているんです。

 2月3日の、フェアバンクスからアンカレッジへの帰りの飛行機では、ちょうど お昼にこの山の上を通りました。雲の無い快晴で、しっかり山々を上空から見る ことが出来ました。雪の量はと言うと、フェアバンクスの周辺の雪の少なさ(数 十センチ)とはずいぶん違って、この山をはじめ、周辺の山々には、数メートルもの 積雪があるように、私の目にはうつりました。
ヲ空から見たマッキンリィの山々。
フェアバンクス〜アンカレッジの飛行機の窓から見た、雪に覆われたアラスカ山脈です。
(98年2月3日12:30 カメラ:PentaxME-F SMC28mmf2.8→8 フィルム:FUJI ASTIA→PhotoCD)


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スキーツアー

 2月1日はマッキンリーを見た後、(というよりは、スキーツアーに行く途中で マッキンリーを見たのですが)前の晩、オーロラを見た場所へスキーをしに行き ました。(これも表現が逆かな...スキー場が見晴らしがよいので、オーロラ観察場 所ともなっているのです)

 スキー場は、フェアバンクスのホテル
から車で45分、40マイル(65km)東のところにあります。この日は朝からの快晴、 気温はマイナス10度前後、絶好のスキー日和でした。

 スキーウエアをどうしたかと言うと、ダウンやジャンパーなど、十分スキーも 出来るほどの装備を持っていましたので借りませんでした。もちろん、スキー手 袋、フェイスマスク、ゴーグル、厚手の靴下など小物も全部揃っていました。

 結局借りたのは、スノボ2人分とスキー2人分ということでした。スキーorスノボ のレンタル料金が$25(3000円)、リフト代$25(3000円)くらいだったと思います。

 ところで、スキーへ行くことを決めたきっかけは、最初にホテルに到着したと きに、今回のオプショナル・ツアーを申し込むときのガイドさん(Mr.John)の説明で は「スキー場には客が100人くらいしかいないです。」の話を聞いたからです。

ヲのどかなスキー場(98年2月1日 カメラ:DS7)

 実際に現地に行って見ると本当に客は100人も居ないくらいでした。よく聞いて 見ると、非常に人が少ないので、このスキー場は日曜日だけの営業で、平日は閉 まっているとのことでした。スキー場の係員の人と話をしていて、自分が日本か ら来たことを知ると、逆に「日本では毎日スキー場が開いていると聞くが本当か?」 と不思議そうに聞かれてしまいました。 (まぁ考えて見れば、(広島県)比婆郡にも日曜しかやってないスキー場もあるなと思い出しました)

ヲがらがらのスキーリフト
(98年2月1日pm2:00 カメラ:PENTAX SuperA/SMC28mmF2.8 F5.6 フィルム:FUJI ASTIA→PhotoCD)

 このスキー場は長さ2,000メートルくらいのゲレンデでした。 (広島県比婆郡西城町の県民の森よりもう少し大きいかなという感じでした。) リフトは1機だけで、2人がけでしたが、待ち時間は完全にゼロ、というよりは、 からのリフトの間に時々人が乗っているという感じでした。

 積雪は、アラスカ中央部のフェアバンクス周辺は10月〜11月に降って、あとは 降らないそうで、その時期の雪がずーっと残っているそうです。 でも、氷点下の日が毎日続くために、雪はパウダースノーのさらさらのままでした。 この雪をスキーで踏みしめると「ギュギュ」と音がします。

(3年前の95年1月にネバダ州のHeavenly Valleyスキー場に行ったときは、 ずっと吹雪で大変でしたが、今回のスキーで前回の不満足なスキーのもとを十分とった気持ちです。)
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アラスカの治安の良さ

 アメリカ=犯罪王国というイメージが強いですが、アラスカ=田舎=犯罪が少な いということを感じました。

その1)100ドル札(約13,000円分のお札)がそのまま使える。  カリフォルニアでの話ですが、お店で100ドル札を出すと、必ずお店のひとは次 のことをします。
  ・良くさわって見る。
  ・裏表の印刷をよく確かめて見る。
  ・透かして見る。
  ・磁気インクのチェッカーを使う
  ・おしまいは、チェックペン「レ」チェックをして、確認済みの印を書き込む..
  (このペンのインクで偽札なら反応が出るらしい)
 この一連の作業を見てきたわけですが、アラスカでは、なぜかこの行動を一度も見ませんでした。 そのままレジの機械へ放り込み、お釣をくれるのです。信用されていますね〜って感じです。

ヲツンドラの中のスキーゲレンデ。
どこまでも広がる青い空とどこまでも続く白いシュプールと、静かに流れていく時間と...
(撮影98年2月1日am11:00 カメラ:PENTAX SuperA/SMC50mmF1.4 11 フィルム:FUJI ASTIA→PhotoCD)

その2)アンカレッジの街を20時〜22時まで徘徊したが、怪しい人が少ない。

 トナカイでも見に行こうと思い、それでも危険かも知れないので、念のため、泊 まっていたキャプテン・クック・ホテルのフロントで、「夜、うろうろしたら、誰か に、何かされないか」と尋ねたら「全然平気だよ」とのことで、街をうろついたので すが、大丈夫でした。(といっても、暗がりや、ガイドブックに書いてあった危な い通りや地域には近づきませんでした。)

 つまり、なかなか、いい感じの所でした。
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チェナ温泉でのできごと

 滞在3日めに2月2日の昼〜2月3日午前3時まで(つまり午前様です...) の強行軍(?狂行軍?)でチェナ温泉(Chena Hot Springs)へつかりに行ってきました。 フェアバンクスから東へ約120kmの所にある温泉です。

ヲチェナ温泉の森の樹氷。昼でも氷点下20度のこの谷は、 木々が皆白く凍っています。(98年2月2日pm3:30 カメラ: PENTAX SuperA/SMC28m2.8/5.6 フィルムFUJI ASTIA→PhotoCD)

 アラスカは火山まではないと思うのですが、ところどころ温泉が出るようで、ド ロンズもゴールしたあと、エンド・オブ・ザ・ロードの村(Central)にある温泉(Cercle Hot Spring)に入っていましたね。我々の行った所も、周囲を山に囲まれた谷あい の温泉で、いわゆるへんぴな所なのですが、噂どおり日本人が沢山いました。

 温泉と言っても、温水プールなので、みんな水着を着て入ります。 (泳いでいます....混浴という表現も必要無いですね。)露天風呂にもはいりました。 (露天?屋外温水プール、と呼ぶべきか) お湯の温度は40度くらい、外の気温はマイナス20度くらい、その温度差約60度。 もちろん、外気に触れている髪の毛はバリバリに凍ってきます。 温泉で旅の疲れをいやした(?)あと、再び、山の上にオーロラ(3夜目)を見に行きました。
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犬ぞりに乗ったこと

 温泉に入る前16時から、お楽しみの犬ぞりに乗りました。犬はアラスカン・ハス キーという種類の犬かな?それともエスキモー犬かな?始めて見る種類の犬でし た。とってもかわいい犬でした。

 11頭の犬で引っぱり、4〜5人乗りの木製のソリ、一番後ろには運転手というス タイルでした。犬たちは大変おとなしく、吠えたり、暴れたりということがなく、か しこそうでした。

ヲ犬ゾリの出番を待つ、ワンちゃんたち(98年2月2日  カメラ:DS7)

 いよいよ準備が整って、出発の時間になりましたが、操縦の人が「GO!」といっ てもなかなか走りません。(ながしまが重すぎるか?それも原因かもしれませんが ...)実は、この犬たちは朝からこき使われて、何度も走らされて、お疲れモードだっ たのかもしれません。sysuzukiさんいわく、「だらだらしている犬たち」だったの です。どおりで、おとなしいわけです。?ちがったかな。

 それでも、さすがはプロ、いざ走り出すとなかなかのスピード。自転車なみの早 さです。カーブもスピードを落とさずに突っ込むのでなかなかのスリルです。

 約2マイル3.6kmのコースをグルリと回って来ました。あっという間だったで すが十分満足でした。

ヲ出発の時間になっても、ダラダラしているワンちゃんたち ...お疲れモードかな?(98年2月2日 カメラ:DS7)
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飛行機のチケットのトラブル....行きも帰りも

 私が海外旅行に行くと必ず日程に影響を与えるトラブルが起きます。今回の旅 行でも心配したのですが、やっぱりトラブルがありました。といっても、日程に影 響を与えるものでなかったのですが...

行 1:大阪〜シアトル(North West)
  2:シアトル〜アンカレッジ(Alaskan Air)
  3:アンカレッジ〜フェアバンクス(Alaskan Air)
帰 4:フェアバンクス〜アンカレッジ(Alaskan Air)
  5:アンカレジ〜シアトル(Alaskan Air)
  6:シアトル〜大阪(North West)

この2と5で問題発生したというわけです。しかも同じことが2回も...なぜだろう。
答えが分かりました。

 最初は知らずに、航空券を持ってチケットカウンターに行き、チェックイン... したはずなのに、搭乗口の機械で「あなたは、まだチェックインがされていないの で乗れません」と早口の英語で言われました。「じゃあ、なぜこの搭乗券があるん だぁ?座席番号まで入っているよぉ〜〜」

 どうやら、チケットカウンターにあるWindows3.1システム(英語版)上で稼動し ているオンラインがMacユーザーをはじいたらしいのです。(やっぱりMacを持っ ていることがばれたかなぁ。毎日使っていると、近付くと雰囲気でわかるのか なぁ。)

 なーんて冗談は抜きにして、結局、搭乗口で「空いていることろへ座ってくださ い」というような指示で、なんとか遅れずにのれました。

 結局、帰りでも同じようなことがありました。

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飛行機、帰りのトラブル

 帰りは、前日にアンカレッジまで来ていたので、アンカレッジ〜シアトル

シアトル〜大阪のみの飛行機の旅を残すところとなりました。

 2月4日、アンカレッジ〜シアトルへの便へ乗るために朝6:30(日本時間 2月5日 am0:30)にホテルを出発しました。7時前に空港へ着くと大勢のチェック・イン待ちの客がいました。何とか荷物を預け、出 発時刻になり、搭乗口へと。

 なんと!行きと同じように「あなたの名前ではチェックインされていない」と のこと「え〜〜い! じゃあ、この座席番号の入った搭乗券はどうやって私の手元 にあるわけ?」搭乗システムを見るとやはりWin3.1のオンラインシステムが動い ている...(いきなりMacに変わる訳、ないか....)アラスカ航空のWindows3.1オンラ インシステムはMacユーザーをよほど嫌っていると見える。

 結局、今回も「席の空いているところへ、どうぞ」とのことで、遅れずに乗るこ とができました。
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飛行機、帰りのトラブル?その2

 まあ、なんとかアンカレジを出発して、シアトルまで帰ってきたと言う訳です。

 あの嫌なアラスカン航空の窓3.1システムによるMacユーザーへの意地悪的な妨 害をはねのけ(笑)残すところ、NorthWest航空の飛行機でシアトル〜大阪への最後 の飛行となりました。

 でも、まだ油断はできません。2度あることは3度ある、Macユーザーへの妨害 工作は果てしなく...(笑x2)

◆アンカレッジの街のイルミネーション。あちらこちらの 木々には電球が取り付けられ、まだまだクリスマスの雰囲気 のままです。(98年2月3日 カメラ:PENTAX SuperA/SMC50mmF1.4 2 フィルム:FUJI ASTIA→PhotoCD)

 予定では、この最後のフライトは、シアトルを2月4日 昼12:00(日本時間 2月5日 am6:00)に出発して、ちょうど10時間かけて大平洋を横断し、大阪に、2月5日 16:00に着くフライトでした。 あと少しで出発かな、というところで、「飛行機のエ ンジンの調整の為にしばらくお待ちください」のアナウンス。外を見ると、ゲート で待っているはずのDC-10は、垂直尾翼のところのエンジン・カバーが開いてい るのです。数名の人が作業をしていました。

ヲアンカレッジの夜景。キャプテン・クック・ホテルの最上 階の非常口から撮影しました。こんなのを撮影していると、寝る時間がなくなってしまう訳です。 (98年2月4日am3:00 カメラ:PENTAX SuperA/SMC*A70-210mmF4/F5.6 フィルム:FUJI ASTIA→PhotoCD)

 30分してもいっこうに終わ,る気配はありません。またしても、帰りが遅くなるか な、と心配しましたが、ちょうど1時間たった、13時にやっとこさで直ったよう です。

 結局、予定を1時間遅れで、シアトルを出発しました。日本にも1時間...いや2時 間遅れで着くかと思っていました。

 ところが途中の速度がジャンボ並みに早いので、日本に近付くにつれて、どうも 定刻に到着しそうな感じになってきました。結局、定刻通りに関西国際空港に着い たのです。

 所要時間10時間の予定のところを、1時間早く9時間で到着、「おお!やればでき るじゃん」という感じです。いわゆるアクセル全開(?)だったのかな。さぞ燃費が悪かったでしょう....

 あとで聞いたのですが、同じ日程でシアトルから出発して東京へ着く便も、1時 間遅れで出発したにも関わらず、同じく定刻に到着したとも聞きました。
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冬のアラスカの自動車

アラスカの寒さが一番こたえるのは、人間だけではありません。自動車もしかり。 ●ラジエターの水が凍る

 日本でも寒冷地仕様の車には、濃い不凍液が入っていますが、マイナス40度に もなるような所では凍ってしまうらしいのです。

 そこで、電気ヒーター(電熱ヒーター)をラジエータに付けて、コードを伸ばし、 その先にコンセントを付けてあります。ほとんどの車にこのコードが着いていま す。

 また、駐車場にはこのコンセントをさす穴(差し込み)があり、家庭用の (US110v仕様)電気が来ています。そして、まるでバッテリーを充電しているよ うなスタイルで、車とそのコンセントがコードにつながっています。

ヲ保温のための電気のコード。ナンバープレートの右上の コードがわかりますか?スキーロッジの駐車場の車です。(98 年2月1日 カメラ:DS7)

●雪が降ると、滑り止めが必要ですね。

 これまでのアメリカの冬期の旅行の経験で、アメリカでは、ほとんどタイヤ
チェーンを売ってないのです。なぜなら、アメリカで、道路を時速50km以下で走る ということは、他の車の邪魔になり非常に危険なのです。

 また、日本みたく雪が降っていようがいまいが、ゆっくり走るという文化では ないので、チェーンなど付けて走っている車はありません。雪があってもばんば ん飛ばしています。ノーマルタイヤでも。道が高速走行設計で整備されているので 大丈夫のようです。(多分...)まぁ、そうは言っても交通事故を1、2回見ましたが。

 アラスカでは、そうはいっても、低温でタイヤが固くなるのだと思いますが、 ノーマル・タイヤでは、やはり危ないですね。というわけで、ノーマルタイヤの車は 少なく(ほとんどなく)、スパイク・タイヤを装着した車がほとんどでした。

 私達を案内してくれるガイドさんの車も、スパイク・タイヤで、しかも、白く凍っ た道を時速100km程度で走っていました。
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今回の旅行で見た星々...1

 オーロラを観に行った今回の旅行でも、沢山の星を見ることができました。中で も行きの大平洋上の飛行機の窓から見た星は大変きれいでした。

 1月31日の夕方、17時少し前に関空を飛び立ったあと、1時間程で窓の外はきれ いな星空が見えてきました。席は進行方向の東に向かって右側の席、つまり南の 空が見えるわけです。

 最初はシリウスが見え、やがてオリオン座も、さらに進むとシリウスのずっと 下の方にあるカノープスという星が見えてきました。

 カノープスは全天で、シリウスにつぐ明るさの星でありながら、日本からだと、 南の地平線近くにあり、山が邪魔になり、非常に見えにくい星です。比婆郡の実家からだと、たまに見れますが、難しいです。

 このカノープスが水平線の少し上をキラキラ輝きながら見えたときは大変嬉し かったです。この星を見ると長生きできるという伝説があるからです。

ヲオーロラとスキーリフトと獅子座と。黒いシルエットは、 良く見ると何かをやっているシルエットですね。 (98年2月1日am0:30 カメラ:PENTAX ME-Super/SMC50mmF1.4/開放 フィルム:FUJISUperG800→PhotoCD)

 それから時間が立ち、やがて春の星座が見えてきました。乙女座、からす座...そ の下にある星は?そうだ、南十字星の一番上にある星が見えていました。
 ここで、目の前を「ス〜」と非常に明るい流れ星が流れていきました。なかなか 見ることのできない程の明るい流れ星だったです。
 また、下を見ると雷がピカピカ光っていたり、これもなかなかの情景でした。雷 を上からみるということはあまりないですから。

 やがてシアトルが近付くとまた、夜明けも近付いてきます。さそり座が見え始 めた頃東の空に非常に明るく輝く星が見えました。金星でした。
 それから朝焼けとともに太陽が見えてきました。
 つまり、冬〜春〜初夏の星座をしっかり観察してしまいました。楽しいフライ トでした。

 ちなみに、この星座観察で分かったのは、このフライトは、ほとんど北緯35度 の辺を東へ東へ進んでいたということです。普通なら、かなり北を回って飛ぶのに ...と思いましたが、季節風、天候によっては、こんな具合に飛ぶこともあるのです ね。
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今回の旅行で見た星々...2

 今度はオーロラ観測中の星々です。

 北の地方に行けば行く程、太陽が低く見えますよね。これは、南に見える星も低 く見えるわけですが、逆に北の星、北極星とかは頭上高く見えるわけです。(北極点 に行くと、北極星は頭の真上に見えます)
 やっぱり、アラスカに行ってみると、北極星は、高いところにあり、オリオン座 は、南の空の低いところに見えています。
 寒くなかったせいもあり、それまでなかなか北の地へ来た実感が沸きませんで したが、これでやっと実感できました。(笑)

 オーロラが見えてくると、ちょうど北斗七星と重なるように見えてきました。 オーロラの幅は、最大で北斗七星の2倍以上ありました。(大きさを実感しやすい。 かな?)あんなにすばらしい情景の北斗七星もなかなか味があります。日本に 帰ってきてからも、北斗七星を見る度にこの情景を思い出しています。

 また日本では、冬の間、沈んで見えない、織り姫星(こと座のベガ)が北の地平 線に見えていました。同じく夏の大三角をつくる白鳥座のデネブも見えました。 (考えてみると、北極点では夏の大三角の星が三つとも沈まない訳ですから、七夕 の星も1年中見えるわけですね。しかし、最大の難点が...一番見えてほしい7月7日 は、北極地方でも夏...つまり白夜のため、沈まない星座でなく、沈まない太陽に なって、見えなくなる訳ですね。)

 夏の大三角
   こと座 ベガ   (織り姫星、織女星)
   白鳥座 デネブ
   わし座 アルタイル(ひこ星、牽牛星)

ヲ沈まない織り姫星。織り姫星はこと座のベガといいます。 (98年2月2日 am0:00 カメラ:PENTAX ME-F,SMC50mm/F1.4開放,2分,フィルム:FUJI SuperG800)
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今回の旅行で見た星々...3

●アラスカ州のシンボルマークというのかな、あちこちで見かけましたが、

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 V字形に並んだ、星のマークなんですが、最初は V に何の意味があるのか な?と思っていましたが、良く見ると左側の7つの星が北斗七星、右の少し離れた 星が北極星なんですね。

●流れ星

 行きの飛行機で、大平洋上で2個。オーロラ観測中にも2日とも数個ずつ。ツアー を通して10個あまりの流れ星を見ました。

 私は、生まれてこの方、通算1000個目の流れ星をアラスカのこの地で見たと 思っています。本格的に星を見るようになって、はや20年、年平均50個として計 算しました。

●星空

 オーロラを見た場所は、人工の明かりがほとんどなく、大変きれいな星空が見 えましたが、星の数は比婆郡口和町の実家で見るのと同じくらいでした。といっ ても、普段なかなか満天の星空を見る機会の少ない方には、本当にきれいに見え たはずです。なによりも、あのすばらしいオーロラと一緒に大変きれいな星空を見 れた事は何よりの幸運です。(ちなみに、私がこれまで見た一番きれいな星空は、 ラスベガスから車で2時間程度のアリゾナの砂漠です。)といっても、自然がいっ ぱいのアラスカは星空もまだまだきれいです。

◆こちらが、本当のアラスカ州のシンボルフラッグ


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美味しかった食べ物

 旅行の楽しみには、ショッピングと食事がありますよね。

●一番おいしかったのは、タラバガニ(kingcrub)でした。滞在3日目のチェナ温 泉ではレストランのディナーも料金に含まれていたので、このディナーでは、みん なでいろいろと注文しました。私が日本で以前食べたタラバガニは、冷蔵庫でお休みされていたので、ちょっと味が悪かったですが、アラスカで食べたタラバ ガニは最高でした。

●同じレストランで、サケ(salmon)も頼み ましたが、これも美味しかったです。サケにもいろいろ種類があって、一番おいし いのはキング・サーモン(king salmon)だそうです。

 エルニーニョの影響でアラスカのサケの収穫が減って、日本からの輸出でかな りの部分を補っているそうです。ところが、高いサケ=king salmonはアラスカでしか捕れないのだと思います。というわけ で日本のサケは出回っていないらしいです。

●お土産に買って帰ったスモークサーモンも美味でした。ユーコン川というアラ スカで一番大きな川で、カナダから始まって、アラスカを東から西へ横断し ベーリング海峡に流れる川が、サケも沢山捕れるらしくて、そのサケを薫製にし た物だと教えてもらいました。

ヲハリバット・フィッシィング(パンフレットから)人間の 背丈よりも大きなヒラメですね。

●もうひとつ、haributとメニューに書いてあるお魚を食べました。白身でしたが、 何の魚かな...と思いつつ、辞書で調べてみると「おひょう、ハリバ、大ひらめ」と
ありました。なるほど...これもとても美味しかったです。

●アラスカで「カリフォルニア巻き」を食べました。巻寿司タイプで中にアボガド が入っているものや、具沢山の裏巻き、中に海苔があって、外を飯で巻いてあるも のなど。

 これをアンカレッジの日本食のお店でいただきました。
ヲカリフォルニア巻き。アンカレッジの熊五郎というお店 で、お寿司を頂きました。新鮮な魚介類を使った寿司は、大 変美味しかったです(98年2年3日 カメラ:DS7)

(おまけ)

●NorthWest航空の機内食では、Soba-noodleというのを食べました。「そば」で す。こちらの方は、セブンイレブンの「そば」のほうが美味しかったです。

●いつもながら、律儀にビーフジャーキーを「未開封のまま税関の検疫へ」持っ て行きました。もちろん、スモークサーモンも持って行きましたが、なんと、 スモークサーモンは検疫の必要がないと言われました。  ビーフジャーキーより、スモークサーモンの方が「なま物」という感じがします が。
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眠れない旅行? 眠らない旅行?

 ながしまは、夜に何をしていたんだろう。そんな疑問にお答えしましょう。今、 解きあかされる、旅行中の夜のこと......

 オ〜ロラと言う物は、太陽が沈んでしまった夜に見えます。つまり夜は、オーロ ラを見るために、厚着をして山の上にいた。ちゃんちゃん...

 これじゃあっけないので、ちょっと睡眠時間を...
  1/31 なんとか飛行機で寝ましたが...
   2/1 睡眠時間 4時間(オーロラ1晩目)
   2/2 睡眠時間 6時間(オーロラ2晩目)
   2/3 とうとう寝る時間がなかった(チェナ温泉)
   2/4 また徹夜....(アンカレッジ)

 オーロラ観測は午前2時まで、それからホテルへ帰って午前3時、Ann-netへログ イン、e-mail、そしてHTML作成...気が着くと朝5時ということになっていました。

 また2月3日のフェアバンクス最後の夜、はチェナ温泉から午前4時前にホテル へ帰ってきました。荷物の片付け、それから、ウエスト・マークス・ホテル前のイル ミネーションを撮影したりで、とうとう朝に..

 2月4日のアンカレッジでは、午前1時すぎから、インターネットのアクセスや 夜景やホテルのイルミネーションの写真を撮ったりしていたら、起床時間の4:30 になってしまっていました。結局ちょっとしか寝てないわけです。

ヲチェナ温泉の温水プールと、光に浮かび上がる樹氷。この 建物の中が温水プールです。そしてこの向こうに露天風呂な らぬ、露天温水プールがありました。(98年2月2日 カメラ:Canon フィルム:FUJI SUperG400)

 4泊6日とあるが、滞在期間中には飛行機を除けば、睡眠は2日分の約10時間.... 我ながら、よくこんな無茶をしたものだと思います。4泊6日2眠かな。

 どうやって頑張ったかと言うと、実は、「クスリ」を使ったんです。どんな「クス リ」かというと、そっとお教えしましょう。

 はい、準備の段階で、多分、こんなスケジュールとなることを予想していたので、 「このごろ疲れが溜ったなぁ〜とおもったら、(QPコ〜ワゴ〜ル◯)」、そして、「5時 から男の、さんさん三十台の(グロンサ◯)」。この2つを朝と夜とにそれぞれ飲 んで頑張ったわけです。ほんと、お目々がパッチリでしたよ。びっくりです。

 24時間どころか48時間まで戦う?ビジネスマンは、こんな「クスリ」を使って、 頑張っているのかと思うと、つくづく大変だなぁと思います。

ヲ夕暮れ間近のアンカレッジ(98年2月3日pm5:00 カメ ラ:PENTAX SuperA/SMC28mmF2.8 4 フィルム:FUJI ASTIA →PhotoCD)

 ところで、寝ないでいたおかげで、いいことがありました。帰りの飛行機は席に 着いたとたん爆睡状態となりました。離陸したのも着陸したのも気がつかずにい ました。あんなに大きな音がするのにです。あっという間に日本に着いた感じで す。

 日本へ帰ってからも、睡魔が襲い、最後の広島〜三次へのJR芸備線も乗った瞬間 に沈没。いつの間にか三次へ着いていたと言うわけです。
 この帰りの行程では、アンカレッジから三次まで24時間の行程でしたが、このうち起きていたのが数時間だけでした。 睡眠不足の元をしっかりとりました。それでもって、次の日は、時差ぼけもなく、 金曜日出勤しました。またスケジュール通りに帰れたのも幸運でした。
 眠らない旅行....名付けて「ドラ(ながしま)えもんの、どこでもドア作戦」とで も呼んで下さい。

 まぶたを閉じて1.2.3......はい、もう目的地です。何千キロもひとっ飛び。

ヲ激しくゆれ動くオーロラ(98年2月1日am0:45 カメラ: PENTAX ME-F,SMC50mm/F1.4 開放,2分 フィルム:FUJI SuperG800)
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あとがき

 (98年3月)帰国して約2ヶ月が過ぎま した。この旅行記を作りながら、楽しかった旅行を思い出すことができました。ま た、これからアラスカへ行く人の参考にでもなれば幸いです。

 この旅行記を作るきっかけとなったのは、今回の旅行を応援して下さったAnn- netのみなさんから、ぜひアラスカレポートをという声とともに、「アラスカ珍道 中」なるものを掲示板へ書くことがでたからです。

 また、デジタル、マルチメディア、インターネットをフル活用できた今回のアラ スカ旅行の記念に、「アラスカ珍道中」のテキストと共に、撮影した写真などを織 り交ぜて、旅行記をつくることができま
した。

 自分ひとりの力でこの旅行記をつくることはできなかったかもしれません。 協力頂いた方に感謝します。

ヲ回る星とオーロラ
(98年2月1日am0:30 カメラ:PENTAX ME-F,SMC50mm/F1.4 開放,20分 フィルム:FUJI SuperG800)


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この旅行記をつくるために使用したものを紹介します。
オーロラの写真
 カメラ1,2: PENTAX ME-Super,PENTAX ME-F
 レンズ:PENTAX SMC28mm/F2.8,SMC50mm/F1.4
 フィルム FUJI SuperG800
風景写真  カメラ3:PENTAX SuperA
 レンズ:前記&SMC*A70-210m/F4
 フィルム:FUJI ASTIA
 カメラ4:Canon Autoboy-Luna
 フィルム:FUJI SuperG400
画像スキャン
 PhotoCD:Konica PhotoCD
 スキャナ:Canon CanoScan600DX

(おわり)

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