Last Update : 2001.2.20

アラスカへ行った話です2000年12月








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目次

1.はじめに
2.オーロラ観察の結果
3.アラスカへのコース
4.クリスマスって?
5.シアトルにて
6.シアトル出発
7.アンカレジ
8.フェアバンクス空港で
9.レンタカーのチェック、アラスカのドライブ
10.オーロラを見に行くポリシー
11.携帯を借りに行く
12.オーロラ観察へ
13.冬至の太陽
14.石油パイプライン
15.昼間の森、ムースのウンメイ
16.北極圏を望む
17.ディナーパーティ
18.サンタ・ローソク
19.オーロラ観察2夜目





はじめに

 2000年師走..いやクリスマス直前、4度目のアラスカに行ってきました。

 期間は2000年12月16日出発〜12月22日帰国の5泊7日でした。 滞在した場所は相変わらずフェアバンクスという街です。

 4度も行ってしまったほど、すばらしいフェアバンクスの町のこと そして、一度だけでしたがオーロラを見た事など、すこだけおつきあい下さい。
 (日々少しづつ作成しています。)

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オーロラ観察の結果

 さてさて,今回200年12月のオーロラの結果は
  12/16 快晴 60点クラス
  12/17 曇天 残念
  12/18 曇天 残念
  12/19 曇天 残念
  12/20 快晴 残念
という結果でした。過去3回が良すぎたのかもしれません。
 何度通っても見れないという人もいますから,それに比べてらラッキーなのかもしれません。 あるいは,200年2月の旅行で,今年(2000年)のオーロラ運も使い果たしているのかもしれません。(笑)

 次は気温の状況です。
  日付け 最高温度 最低温度
  12/15 -27.0  -31.0
  12/16 -31.0  -33.0(-33.0 19時)
  12/17 -15.0  -17.0
  12/18 -13.0  -19.0
  12/19 -08.9  -12.0 めちゃ暖かいです。
  12/20 -10.0  -16.0
  12/21 -07.0  -18.0(-16.0 01時)
  ()は到着時、出発時の気温と時刻です
 今回は初日に最低気温の中到着しました。まだこの温度ではダイヤモンドダストも、氷のお遊びもできませんでした。
マイナス30度ではかなりカメラがくたびれます。でも翌日から嘘のような高温が続きました。 おかげで、寒いという感じはないものの、道路がよく滑りました。

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アラスカへのコース

2000.12.16
 今回も大阪〜シアトル〜アンカレジ〜フェアバンクスへのルートとなりました。
 朝7時過ぎに三次を出発して,新大阪までのんびりバスの旅。雪もなく暖かい朝,予定通りの三次出発でした。 土曜日とあって,バスはほぼ満席。大阪市内は師走の渋滞。予定より少し送れて,お昼に新大阪に着きました。
 アラスカに行くために関西空港へ来るのはこれで4度目になります。毎回,高いなぁ...と思いつつ空港利用税を払い出国します。
 それにしても,朝7時に出発して10時間後の17時にやっと飛行機が飛び立つのは,やっぱり大阪までの距離を感じます。
 今回は,窓際を取ることができませんでした。
 機内食は相変わらず,毎年同じ内容です。まぁ変えてもしょうがないのかもしれませんが....
 飛行機は太平洋の闇を順調に西へ西へと進みました。

<こんなにも後戻りします...>

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クリスマスって?

2000.12.16
 機内でこんなやりとりをしました。
 通路側でしたが,私の前に座ったお兄さんが大変愛想よくにこにこするのです,日本語はできないのですが, 私の頼りない英語で,どこから来たとかどこへ行くとか,他愛のない話をしました。 彼はアーカンソーから徳島にいる友達の手伝いをしに日本へ来て帰る所だといいました。 さらに話が進み,友達の手伝いとは...なんと彼は宣教師で,徳島の友達も宣教師でした。

 クリスマスが近いので,彼は私にクリスマスの話をしてくるのです。「クリスマスはどうするのか?」 という問いに「私を含め日本ではたいていの人が,クリスマスは主の誕生日を祝うのでなく,ただのお祭りであり, 恋人とすごせることが幸せであるとか,ケーキを食べる日であるとか,プレゼントの交換をするだけで, ほとんど宗教とは無縁のお祭りである。」と説明しました。

 すると彼は,「それはおかしい,主の誕生日を祝うのがクリスマスであり,クリスマスの起源を知らないのか?」 と言い、日本語でクリスマスの由来を説明しているパンフや,分厚い聖書を開いてイエス・キリストの誕生のページを 見せたりしてくれました。
「神を信じているのか?」と聞いてくるので,「私の神様はオーロラの神様です。」とトンチンカンな返答をすると, ますます「キリストの神を信じないのに,クリスマスをするのはおかしい。クリスマスとともに神を信じて欲しい」 といってくるので,「残念ながらそれはできない..」という押し問答をしました。

 彼には,なぜ日本ではクリスマスで盛りあがるのに主や神を信じていないのか?たいへん不思議な事だったと思います。

 日本...というか私の宗教観にたいそう疑問をもったような彼でしたが,私は眠くなってきたので,寝てしまいました。 彼はあきらめたのか,もうこの話をしませんでした。

<飛行機の中の様子。目の前の頭が彼です...>

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シアトルにて

2000.12.16
 夜があけ,アメリカ大陸へ接近していきます。窓の外は雲雲雲...シアトル空港は雨上がりの様子でした。
 入国審査もスムーズに終わり,引き続き荷物を受け取り,国内線チェックインへすると,私のチケットはすぐに チェックインできない、聞いてみると「登場直前に座席の案内をするので,それまで待って欲しい...」

 なんだか98年の時のような事態になっています。原因は私が密かにMacを持ち込んでいるのがばれた様です。 もう少し厳重に包んでおけば良かったようですが、ノースウエスト航空予約システムはwinなのですが、 winマシンによるMac探知システムにひっかかった様で、今回は特にiBookに対する規制が厳しくなったようでした。
 99年と2000年2月の前回まではDuoだったので、無事に通過できたようでした。マックユーザーへの妨害工作は................
と冗談はさておき、本当の原因はオーバーブッキングによるものでした。

 本当に乗る寸前に「ミスター・ナガシメ」とアナウンスがあって、カウンターに行くとシートを割り振ってもらいました。

<雨のシアトル・タコマ空港>

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シアトル出発


2000.12.16  さて,シアトルでは乗り継ぎにすこし時間があるので,のんびり過ごしました。
 なぜか毎回食べる「うどん」真っ黒のスープ(関東風だと思う)でなかなかのお味で,好きです。

 ところが,いままでは「どんぶり」に入っていたのですが,なんとLサイズの「まるでジュースのカップ」 (発砲スチロール製)にいきなり麺を入れて,具をのせて,スープを入れていました。ちょっとびっくり!!
 とは言え,カップヌードルのビッグ・サイズのちょっと背が高いの...と思えばいいのですが,違和感を感じつつ 昆布ダシの効いたスープのうどんをつるつるっと食べました。
 その次は,飛行機に乗る手前でクラムチャウダーです。たっぷりと貝の具のはいったスープはなかなか美味しいです。

(と,また食べ物の話になってしまいました...失礼)

 無事に飛行機に乗れて、席は左の窓際でした。アラスカ南東部の氷河を見ようかと期待していたのですが、 ず〜〜と雲ばかり...日が暮れてきて、アンカレジへと着きました。
 機中の数時間、隣に座っていた8-9才くらいのアメリカのガキンチョが、ず〜〜とゲームボーイ(カラー)で ポケモンらしきものをず〜と脇目もふらずやっていました。途中でなにやらキーワードをメモしながらやっていました。 その集中力にはただただ呆れるばかりでした。

<これが、ジュースの容器に入って出てきたうどんです。隣は爽健美茶のペットボトル500cc>

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アンカレジ

2000.12.16
 シアトル・タコマ空港を1時間遅れで出発した飛行機は,予定では16:15にアンカレジに到着でした。 しかし17時を過ぎて到着しそうです。アンカレジ空港に着く頃17時には,自分の席から見える東の空は 完全に真っ黒になってきており,自分の席とは反対側の窓からアラスカ特有の真っ赤な夕焼けが少し見えていました。

 やがて飛行機は高度を下げ,やっぱり予定より1時間遅れでアンカレジ空港に到着しそうでした。 アンカレジ空港直前では,入り江の海に流氷があるのですが,今年はまだ12月で少し早いのか, あんまりたくさんの流氷は見えませんでした。

 空港のロビーは,クリスマス用に飾り付けがしてあって,とってもきれいでした。
 予定では45分間休憩の後,17時ちょうどに出発のところを,すでに遅れているので25分休憩に変更 (それでも40分遅れですが...),飛行機がフェアバンクスへ向けて出発したのは17時40分でした。 あと1時間ほど飛んだら,フェアバンクスへ到着となります。
 飛びたって,40分くらいのところで,窓の向こうに,アラスカの漆黒の原野の中に浮かび上がる 「光のオアシス」といった感じで,オレンジ色の街灯がたくさん見えてきました。 10ヶ月とちょっと(笑)ぶりにフェアバンクスにやってきました。

 外はマイナス30℃のアナウンス。東の空にはキラキラと木星が輝いています。今夜のオーロラは期待大!!でした。

<アンカレジ空港の様子>

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フェアバンクス空港で

2000.12.16
 空港で荷物が出てくるまでの間,レンタカーの手続きです。毎度毎度「ハーツ」のレンタカーです。 今回からWebで予約ができるようになって非常に便利になりました。 (以前は予約は0120−フリーダイヤルでした)

 (そういえば,便利になったものに海外傷害保険もWEBで申し込みしました。 格付けAAAの「AIU」を利用しまたが,これも前回はiModeのみでしが,今回は 全部Webで申し込みができるようになって便利になりました。)

 手続きには,いつも私の方から「私の日本の免許証確認しますか?」とたずています。 今まではいらないと言われていましたが,今回初めて「見せてください」と言われました。
 アメリカでは国際免許書の提示の他に,本来なら日本の免許証を提示しなければならないのです。 つまり,日本の免許証を所持していないと,国際免許だけではアメリカでは不携帯なのです。
 「国際免許」とありますが,運転技術を確認して発行しているのでなく,日本で正当な免許を有しているので, これを証明する..みたいなただの証明書類なのです。 だから日本の免許証は本来は必要なのですが,面倒なのであまりそこまでチェックしないというわけです。)

 書類に記入をしていると,背後から「ウンテン ダイジョウブ デスカ?」と声をかけてくる人がいます。 私の手にしている免許証を見て,そう言ってきたのだと思うのですが,背後にやってきたのは,外国人のようです。 彼の手にも私のと同じ免許証が握られていました。

 彼は「アメリカ人であるが,今は札幌に住んでいる。この免許は札幌で取った。用があってフェアバンクスまで来た。 フェアバンクスは札幌に似て,とても寒い。」といっていました。
 「私は広島から来た」というと,「広島は知っている,でも雪道の運転は大丈夫か?」と聞いてくるので,
「私の住んでいるところの近所にはスキー場がたくさん有り,雪もたくさん降る。凍った道や雪道の運転も好きだし, 自信あるよ」と説明すると,彼は広島に雪が降ると聞いて驚いていました。
 「しかし,今年はまだ広島には雪が降ってなくて,雪道の運転もできないので,雪道の運転を楽しみにきた」と 説明すると彼は面白がっていました。

 彼とレンタカーの受付の人が一緒に「車の延長コードをきちんと接続する事....(以下省略)」と言ってきました。 わたしは「もちろん知っています。フェアバンクスの運転はこれで3回目です」というと, 声をかけてきた彼はびっくりしていました。

 きっと彼は『なにを好き好んで,こんなメチャ寒いところに3度も来るんじゃろ...』と思ったことでしょう。

 無事にレンタカーの手続きが済んで,いよいよ外に出てみると,やっぱり寒かった...

<フェアバンクス空港の外の様子。マイナス30度>

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レンタカーのチェック、アラスカのドライブ

2000.12.16
レンタカーのチェック、アラスカのドライブ
 今回借りたレンタカーはフォードのウィンド・スターというミニ・バンでした。マツダのMPVくらいの車です。 レンタカーの駐車場に止まっているその車は,霜をかぶってカチカチに凍っている感じです。 かぎを開けてキーを回すとエンジンが順調にかかりました。
 やっぱり,ドアロックシステムは不可解でした。2月に続き,このレンタカーで試してみると.... まず内側でロックをしてから,外に出てドアを閉めるとロックがそのかかってしまいます。 (日本だと,内側ロックしてドアを閉めても,そのままだとロックが開くはずです。)

 しかも,内側のボタンからは集中ロックができるのに,外からキーを入れて回しても集中ロック・解除はできないのです。
 うっかりすると,エンジンをかけたまま内側ロックボタンを押さえてドアを閉めると....最悪の事態になります。

 そういえば,アラスカ・フェアバンクスの車は,ちょっと年期の入っている物はフロント窓ガラスにヒビが入っています。 マイナス50度にもなると,車内と外の温度差が激しいので,例えば、ガラスコップに熱い湯を注ぐと割れるようにヒビが入るのです。 深夜番組のテレビでやっていた「たどりつけばアラスカ(Northern Exposure)」でも、ちょくちょくフロントに ヒビの入った車が登場していました。なんとなく「ひび割れ」がアラスカの車のシンボル...ッて感じですね。

 そんなこんなで、マイナス30度の中、待ちに待った凍った道のドライブに出発です。 (2000年12月は日本(三次)ではとうとう雪道ドライブができなかったので、よけいに待ち遠しかったこともあります。) マイナス30度にもなると、車内の窓ガラスは冷たいままで、窓ガラスが曇ります。ついでに凍ってしまいます。 がんがんにヒーターをかけても、フロントガラスの一番上のところや、両側の窓ガラスが凍ってしまいます。
 レンタカーのタイヤはスタッドレスタイヤです。間違ってもチェーンをかけている車はいません。 そんなことをすれば、低速走行になってしまい、たちまちみんなの迷惑になってしますからです。 みんな雪道でも制限速度(約60-90km)を守って走ります。
 もちろん、私も道路に雪があっても凍っていても、ちゃんと制限速度の表示の早さで走ります。 さもないと追突されてしまいます。

 時速90キロで走っても、町中ではときおり信号がありますので、ちゃんと止まれるように、 気を付けなければいけません。割と黄色の時間が長いので、止まりやすいです。 信号の変わり目は広島とほぼ同じタイミングですの楽です。 (青は進みなさい、黄色は進んでも良い、赤は注意して進め...というほどひどくはないですけど...笑)

 でもみんな手前で速度を落とすので、ちゃんと止まっています。たまに、信号の手前に長いスリップ痕あるので、 自分も追突されないように気を付けないといけませんし、自分もスリップしないように気を付けないといけません。
 レンタカーにはABSがあるので、日本の自分の車より雪道ブレーキは楽です。ABSなしの私の車の場合は、 雪道や凍結路ではスリップギリギリの微妙なブレ−キングを絶えず要求されますが、ABSがあるレンタカーはそれよりは楽です。

 あと便利ななのが、クルーズコントロールです。市街地を抜けると何十キロも信号のない道ばかりです。 道路に雪があっても、ちゃんと曲がれる用に設計されているので、カーブで減速というのがほとんど必要ありません。
 わたしも雪道カーブでもあんまり減速しないほうなので、速度は一定のままです。 そうなると、アクセルの加減無しで一定速度でず〜っと走れるのが楽です。

 そんな私のアラスカの冬期ドライブは、私にとって楽しいドライブなのです。

<今回のレンタカー Ford-Windstar フェアバンクス空港前にて>

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オーロラを見に行くポリシー

まずは、2001年1月 8日付け 朝日新聞朝刊 天声人語 から引用
 「オーロラ観光」が年々盛んになっている。昨冬、日本から1万人以上がオーロラを見にアラスカへ出かけ、 ほかに北カナダや北欧を訪れた人もいた。
 音もなく揺れる壮大な光のカーテン。か弱く、頼りなげでいて、ときにめまぐるしい乱舞になることもある。 そう聞けば一度は目にしたいと思う。しかし、実際は相当の覚悟がいるらしい。
 まず、晴れなければ話にならない。晴れても、いつ出現するか、だれも予測できない。寒さと、場合によっては 睡魔とも闘いながら、ひたすら空を見上げる。その試練をくぐった人にだけオーロラの女神はほほ笑む。

 ハレーすい星で有名な英国の科学者ハレーは18世紀初め、「地震で噴き出した水蒸気が上空で発火する」と考えた。
空気を抜いたガラス管の中で高い電圧をかけると、ガラス管全体がピンクや青に輝く。 この放電現象が空の上で起きていると考えられるようになったのは、19世紀末だ。
 どうやって自然に高電圧ができるのか、さまざまな理論が唱えられた。が、論議は紛糾するばかり。 観測を何百時間も続けた学者は「わたしは本気でこう考えている。 すべてのものがわたしをバカにしている可能性がある」とこぼした(赤祖父(あかそふ)俊一(しゅんいち)『オーロラ』中央公論社)。
 ロケットや人工衛星を使う宇宙観測時代が始まって、太陽から電気を帯びた粒子が飛んでくる様子がわかってきた。 それが地球の磁場にとらえられ、加速され、大気中の酸素や窒素にぶつかると光が出る。 そんなふうに大筋は見えてきたけれど、わからないこともまだ多い。 スウェーデン国立宇宙空間物理研究所の山内正敏さんはそう語る。

 研究所は、真冬は丸4週間も太陽が顔を出さない極北の地にある。 オーロラ観光にやって来るのはもっぱら日本人とドイツ人。地元では「物好き」とみているそうだ。

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 ここからは、ながしまのポリーシーを語ります。
 オーロラの見える季節が約5ヶ月と考えると、毎月2000人以上がオーロラを見にでかけます。このうちの1人が私です。
 たしかに、地元の人にとってオーロラ観光にくる日本人(とドイツ人)は「物好き」にはちがいありません。 しかしこのコラムで単に「物好き」としめくるるにはあまりにも説明不足かなといいう気持ちでこの文章を書きます。

 というのも日本人にとって、オーロラとは「神秘の光」であり、それを見たいと思っている日本人は相当な数にのぼると思われます。 これは、マスコミの影響もあるかもしれませんが、マスコミに影響されるにしても、オーロラを見に行きたいと思う気持ち、 その根底にあるのは日本人が持っている自然に目を向ける感覚が大いに影響していると思います。

 四季を感じる感覚、虫の音を聞く感覚、ホタルの光、雷を雷神という、数え上げればきりがありません。 このような自然の神秘を日本人独特の感性で感じるハートがあるからだと思います。 あるいはこの気持ちは日本人のアイデンティティであると言えるかも知れません。

 たとえ「物好き」といわれようと、オーロラの光を美しいと感じる「オーロラ信仰」は日本人の誇りであると思います。 そして「オーロラ信仰」は世界に誇れる日本人のアイデンティティであると思います。 そしてこの気持ちや感性を持てるということ、私は胸をはってオーロラを見に行きます。 (ちょっと話が飛躍してしまいましたが。)

 他民族の、一見して理解できない習慣や奇妙と思える習慣を否定したり笑い飛ばすのでなく、 それがその民族の習慣であり、それがアイデンティティでもあるのです。 このことを理解していく事は重要な事だと気がつきました。

 そして、これも大事です。
「くれぐれも『他の国にお邪魔しに行く』という謙虚な気持ちを忘れずに(中略)」(クロワッサン200/1/10号から引用)とあるように、 その地域に入らせていただく、旅行をさせていただくという気持ちも忘れてはいけません。
 自分の望みだけかなえれば、後は傍若無人、なりふりかまわない...というのではそのアイデンティティも理解されません。 もう少し日本人もオーロラを見に行くマナーを拾得すべきかもしれません。 また旅行を企画する会社などもできれば、この辺を旅行者のみならず、現地の人にも理解してもらえるようにすれば、 もっといいのに..と何度もアラスカへ行くうちに思うようになりました。

 ちょっと理屈の多い今回のオーロラの話しでした。

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携帯を借りに行く

2000.12.16
 空港に約50分遅れてついたので、ちょっぴり慌てたのが、携帯電話のレンタルです。
ホテルの近くにあるレンタル携帯電話を利用します。 2000年2月にここのレンタルを利用したのですが、値段も悪くなく、けっこう役にたったので今回も利用することにしました。
 20時閉店のところを19時30分に着きました。手続きには身分証明もなくすぐに貸してくれます。 書類に記入して、住所は取りあえずホテルの住所で記入しました。 出された携帯は2種類でした。一つはこの前借りたのと同じもの、もう一つは新型のようなさらにコンパクトなものでした。

 料金は1週間のレンタルが35ドル、日本では1日1000円が基本ですから、ほぼ半額です。 通話料金も1分1ドルとなっています。前金で175ドルを渡します。 返却時に、35ドルと通話時間を計算した差額が帰ってきます。 私のような短期の旅行者にはありがたいシステムです。 ちなみ10ドル分通話だったので175-35-10=130ドル帰ってきました。

 電池も、今回借りた物は「リチウムバッテリー」となっていて期待しました。 というのも、2000年2月の時の携帯は、ニッケル水素バッテリーなんですが、 すぐにバッテリーがなくなります4-5時間というところか。絶えず充電にしておかないといけません。 今回のリチウム..は2-3日は持つだろうと思っていました。
 しかし、使ってみるとすぐに電池がなくなります。だいた6時間でダメになります。日本のにくらべるとあっというまです。

サイズも、私のP501iよりも少し大きいサイズです。つくづく日本の携帯電話の小ささを感じました。
http://www.uniden.com/docs/product/prdetail.cfm?product=MINI200
ウルトラコンパクトととありますが、随分おおきいです。

<上が借りたもの、下が私の携帯P501iです。>

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オーロラ観察へ

2000.12.16
 ホテルを着いたら20時少し前,天気もすごく良く,少しでも早く観察体制にに入るために, カメラの準備をして出かけました。

 夕食は,ほーロラを見に行く道の方向にあるスーパーの惣菜コーナー。2000年2月にめちゃまずい「照り焼きチキンどんぶり」 を買ったところです。運良く「照り焼きチキン」は売り切れになっていました。(笑) オーソドックスな「鳥のから揚げ」と「シュウマイ」と「サラダ」を買って,そのまま車で目的地の森へ進みました。 車の窓から,オーロラが見えないかとキョロキョロ。15分ほどで,森へと着きました。21時30分でした。

 外へ出てみると,ピ〜ンと張り詰めた空気。温度計はマイナス30度をさしていました。 まだ,オーロラは現れそうにありません。とりあえず,先ほどの食事を食べながら待ちます。 サラダもなかなかのお味でシンプルな夕食でした。

 再び外にでてみると,やっぱりすごい寒さです。15分ほど星を眺めていると,靴のそこから寒さが伝わってきます。 オーロラが出たら寒さも忘れるのだろうけど、と思いながら、まだまだ現れる気配はありません。

 時計の針が12時半を過ぎた頃、目の前の山の上がすこし白くなってきました。 その光は徐々に明るくなってきました。さっそくカメラのセット。 カメラを少しでも冷やさないために、直前まで車のなかでした。 3台のカメラは、それぞれ30秒露出を連続シャッターで切れるようにセット。 フィルムは気持ちよくコマを進めています。

 しばらくすると光もちょっと弱くなってきました。う〜〜寒い。靴にカイロを入れて待ちます。 カメラも冷たくなっていますが,ヒーターが働いているので,取りあえずはカメラはまだ大丈夫のようです。

 1時過ぎに再び明るくなって,きました。空全体を覆うほどのすごいものではなかったですが,なかなか美しかったです。 カメラの方はさきほどから音が少しおかしくなってきました。1台、また1台とちょっと音がおかしくなってきました。 最後の1台だけはちょっと大きめのが付いているので、まだ、大丈夫です。 もう少し撮影を続けようか、でもオーロラはちょっと薄くなってきたし、と思っていると、フィルムが終わってしまいました。 オーロラも薄くなってきたので、撮影をいったん終了させて、引き続きオーロラの出現を待ちました。 しかし2時すぎまで待っても出てこないので、この夜は帰りました。

 この日の収穫は北の空にぱっと見た感じで視界いっぱいに見えるオーロラでした。 明るさはけっこう明るく見えました。私の評価では60点クラスで、まずますの満足のオーロラでした。
 やっぱり,最初の日に見れるというジンクスは続きました。

<この時のオーロラです。>

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冬至の太陽

2000.12.17
 フェアバンクスは北緯65度にある町です。北極圏が北緯66.6度以北ですから,もうすこしで北極圏です。 (ここからハイウエイを300キロ北上すると北極圏になります。)
 12月17日の朝は,昨晩からの好天が続き,「日の出」を見に行こうとアラスカ大学へむけて出かけました。 この日の日の出は午前11時,日の入りは午後2時半くらいです。アラスカ大学まではホテルから10分ちょいくらいです。
 このアラスカ大学のキャンパスは,フェアバンクス市内でわりと高台にあり,ここからの眺めはなんといっても, 目の前に広がるタナナ川の大平原です。
 この荒涼とした大平原は四国の半分がすっぽりと入るくらいの大きさですが,見た目には,はてしなく続く感じです。
 しかしながら,この眺めは,さらにとてつもなく広いアラスカのほんの一部分にしかすぎません。 (アラスカの面積は日本の約4倍の大きさです。)

 そのまた先にアラスカ山脈のとがった峰がいくつも見えています。自分のいるところから,山までは数百キロ先です。 峰の向こうの輝きが徐々に明るくなるのですが,11時になっても15分過ぎても太陽が見えません。

 しばらくすると,面白い現象を発見しました。山の向こうの「明るい部分」が,右へ右へと隣の峰へ移動しているのです, 本当の太陽の光は,まだ見えませんが,11時の場所からはずいぶん右へ移動していました。 日本では,太陽は夏でも冬でも,右斜め上の角度で昇ってきます。 しかしアラスカではほとんど水平に近い角度で右へ移動するのです。

 これが北極圏へ行くと,太陽の光は,この「明るい部分」が山の向こうに見えるだけになり,太陽の昇らない日が続くわけです。 北極点になると,まったく明るい部分も見えない,真っ暗な一日となるのでしょう。

 冬至近くの太陽を北極圏近くで見て,ここに住む人が太陽を待ち焦がれる気持ちが良くわかりました。


<スキーランドで撮影した冬至の低い太陽。2000.12.17 一番高く太陽が昇ったころに撮影しました。 ここは見晴しが良いので、お日さまを拝む事ができますが、山がある場所なら太陽を見る事はできないでしょう。>

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石油パイプライン

2000.12.17
 大学で「日の出」をみたあと、天気も良いので、郊外へドライブに出かけました。

 ようやく太陽も山の上に顔をだしてきました。まず、アラスカの石油パイプラインです。 長さ約2000キロの石油パイプはアメリカ一の長さの構造物です。 ここから掘られる石油はアメリカの消費量のかなりの部分をまかなっています。 おかげで、石油会社がアラスカへ支払う税金(石油採掘に対して支払う税金)もすごく高額で、おかげで税収の豊かな州となっています。

 毎度このパイプラインを眺めに来ますが、山の向こうから反対の山の向こうへ続くそのパイプラインは、 石油エネルギーに頼る我々の生活にはなくてはならない物です。 日本ではこうした物を見る機会はほとんどなく、あるとすれば、石油コンビナートの貯蔵タンクを見るくらいですです。

 ここへ乗り付ける車の燃料はここを流れる石油から作られているかも知れない..そんな事を思いながら、 この石油パイプラインの歴史をふと思い出します。 1960年代後半にアラスカの北極海に面したところで、アメリカ史上最大の埋蔵量の油田が発見されます。 運搬方法についていろいろ検討された結果、パイプライン方式をとることになりました。
 しかしパイプの建設の許可がおりる前に石油会社は日本へ資材の発注をしてしまい、すぐにアラスカへMaide in Japanの資材が届けられましたが、 その後、数年間放置されました。というのも開発か自然保護か決着がなかなかつかなかったのです。
 1970年代にやってきたオイルショックはアメリカも巻き込み、自国で石油資源の生産の必要性を感じていき、 とうとうパイプラインの建設になりました。  地面にもぐったり、地上高く設置されたり、野生生物、植物・動物ともにダメージを最小限にするためにいろいろな工夫がされています。
 我々の豊かな物質文明を支える石油。いつまでもここを流れて行くことはないだろうな...いつか必ず終りはやって来る...そんことをふと思いました。

<パイプラインです。パイプのすぐ下まで行く事ができます。>

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昼間の森、ムースのウンメイ

 パイプラインを眺めたあと、毎夜オーロラを見に行く場所へ昼にも様子をうかがおうと行ってみました。 夜は夜で静かな森の入り口ですが、昼もし〜んと静まり返っています。
 この森の入り口周辺にはGold Streamという川が流れています。もんちろん冬期は凍っていて、川のようすは伺えませんが、 今から約100年前の1902年の夏のこと、それまで何の変哲もない森、 もしかしたらインディアンがムース狩りをしていたであろうこのあたりで、金が発見されます。
 瞬く間にゴールドラッシュにわいたのは言うまでもありません。 アラスカ中央に位置するフェアバンクスは、金を中心とする交易の町へと発展していきます。現在の町は、まだほんの100年の歴史しかありません。
 しかし、ゴールドラッシュもおさまり、金が掘れ尽くされると、鉱山は小さくなり、またしずかな森へともどっていきます。

 ゴールドラッシュ当時をしのばせる物はほとんどなく、どこまでも広がるなだらかな丘と目の前の森を眺めながら、 昨夜みたオーロラを思い出します。雪に覆われる森を見ていると、点々と雪の中に続く足跡があります。 良く見ると大きな。型をしたものもあります。その横を小さい。型の足跡もあります。
 ムースの足跡です。雪に残った足跡はまだ新しく、つい最近ムースが通ったもののようです。

 あたりを見回すと、犬か狐らしき足跡や無数のムースの足跡がありました。(熊はなかったです。冬眠中かも知れません。)  それから他の足跡がないかさがしていると、茶色い「おまんじゅう」のような物が落ちているのに気がつきました。 すっかり霜におおわれて、カチカチになっていました。私の握りこぶしくらいの、形から肉食動物でなく草食動物のものようで、 多分ムースのウンコではないかと思います。うちで飼っている牛のウンコも同じくらいの大きさ・形のをします。 親ムースのものか小ムースのものかはわかりませんが、きびしい冬でもしっかり草や木を食べて元気に暮らしているそんな様子がうかがえました。

 2年前(1999)に聞いた話を思い出しました。ムースは冬でも冬眠せずさまよっている動物である。 マイナス50度にもなろうという時には立ったままで、しかも何日も動かずに寒波が去るのを待っているそうである。 また、雪の上に横たわる事は体温を奪われることになり、そして、 動くことも体力を消耗するので、寒い時にはただひたすら、 立ったまま我慢しているそうである。
 初夏にうまれた子ムースは、アラスカのとても短い夏の間ひたすら食べ続けます。しっかり体力を付けることができた小ムースだけが、 厳しい冬を乗り越える事ができ、翌年の緑あふれる季節まで命をつなぐ事ができるのです。 それが自然界の掟であり、もちろん弱者の命を守る手立てはない。というものです。
 親ムースも生きる事が必死であるなかで、過去から未来へと永遠にそして脈々と命がつながっている事、自然界の不思議さ、力強さを感じる話でした。

ムースの運命、ウンとイノチのはなしでした。

<毎夜オーロラを見に行った森の入り口です。そしてムースのウンです。>

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北極圏を望む

2000.12.17
 午後にはオーロラツアーで行く「スキーランド」へ行ってみました。
 フェアバンクスから30分程の所で、山の頂上にあるスキー場です。 日曜日は営業しているはずなのですが....さすがにまだ雪が少ないために、営業していませんでした。 白い雪、黒い森、そして低い太陽。

 98年2月、始めて見たアラスカの昼の景色がここでした。3年ぶりに昼間にやってきました。 あの時は賑わっていたスキー場もこの日はし〜んと静まりかえっていました
 ここの一番の景色は、はるか北のかなたに見えるブルックス山脈の峰々です。 この日は頭の上から北の地平線まで全く雲のない青空がひろがっていました。 この山脈は 98年2月の時には白く輝いていましたが、今回はそんな具合には見えず灰色に見えました。

 おそらく、この山脈には、太陽の光が届いていません。 というのも、アラスカの最北にあるこの山脈は北極圏内にあり、冬至のころは太陽の光がこの山脈まで直接届くことはありません。 この山のある場所から眺める空は、昼になっても、太陽が地上に顔を出す事もなく一番あかるくなったとしても、 夕暮れの状態のままなのだろうと思います。

 灰色に浮かび上がった、雪をかぶった山脈を見ながら、地球の大きさをふと感じる一瞬でした。
 ブルックス山脈は、星野道夫さんの作品にもたびたび登場してくる山であり、この山の向こうに広がるツンドラの湿地帯には、 夏になると無数のカリブーの群れが繁殖のためやってくる場所になります。

 フェアバンクスから、2泊かけてパイプライン沿いに北極海まで往復するドライブするツアーがあるそうです。 片道490マイル、往復980マイル(約1600km)もの強行軍です。 1日目の朝早くフェアバンクスを出発した車は、一路北へ北へと進みます。 町を抜けて少し行くとすぐに未舗装路になりります。数百キロほどでアラスカ1の大河ユーコン川を渡ります。 北極圏にはいったところで、1泊目。険しいブルックス山脈を越えて、山脈の北斜面である、ツンドラ地帯のなだらかな斜面を進みます。 このあたりがもっとも景色の綺麗な所だそうです。北極海が見えたところで、Uターン、再びブルックス山脈までもどり、2泊目になります。 そして、フェアバンクスへ戻るというツアーです。いつはあのブルックス山脈を越えてみたい。そんなことを思いました。


<2000.12.17(左)と1998.2.1(右)に撮影したスキーランドから望むはるか北の大地。冬至近くの左の写真は日陰ばかりの世界。 それに比べて光の溢れる右の写真。わずか2ヶ月でこれほど違います。>

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ディナーパーティ

2000.12.17
 今回の旅行では、オーロラ以外の楽しみとして、フェアバンクスに在住する方の家を訪問することでした。 地元(広島)で知り合いになった方で、その方の家(実家というか田舎)がフェアバンクス市内、 しかも駅の近くと言うことで、ぜひぜひ行ってみたいと伝えたところ快く承知していただきました。

 夕方ホテルまで迎えに来てもらい、家に向かいました。どんな家だろうと期待していましたが、期待にたがわぬ立派な家で、 しかもきれいな電飾を取り付けてありました。 その家のおばあさんになる方が80才くらいだと思うのですが、スエーデン出身で、その家もスエーデン式をいろいろ取り入れてありました。 家の中は、クリスマスツリーだけでなく、クリスマスのための飾りがいっぱいあり、もういつでもクリスマスOKという状況です。 なかでも目を引くのが「暖炉」です。これだけは、アメリカの家で一番うらやましいなぁと思う物です。

 最初に簡単な飲み物をいただきながら、軽くスナックを頂きました。ワインやウイスキー、ジュースなどいろいろに用意していただきました。 続いて食事をいただいたのですが、そこのお母さんが腕によりをかけて作られた、いろいろなアラスカの家庭料理を頂きました。 パスタ料理、アスパラ&ベーコン、サラダ、パン、そして一番印象にのこったのが、その家の庭でとれたクランベリーのジャムの入った 「ゼラチン・サラダ」とい呼んでいたデザートのようなサラダでした。

 意外なほどのの品数と想像以上の美味しさに感激しました。しかし、一番手間がかかったあろうと思うのが、「ご飯」でした。 フェアバンクスのスーパーマーケットでも確かに種類・量とも豊富に「白米」が置いてあり、手に入れるのは簡単だとは思います。 おそらくその家ではふだんは「米」「御飯」などは無縁の食生活だと思います。 わざわざそれを用意していただいたのは、私達が日本から来たということで、気を遣われたのだと思います。 非常に美味しく炊けている御飯を食べながら、自分の心にある気持ちが湧いてきました。

 それは「外国人の方の出身地の料理をふるまうことの不要さ」を感じたわけです。つまり、日本の我が家へ来る外国人のお客さんには、 できるだけ我が家、我が地域のオリジナルな食事を出すことの重要性を自分が身を持って体験した。 そんな気分でした。もちろん、まずいもの、嫌がるものを無理矢理食べさせようと言う事ではありません。

 私なりに、一つの収穫のあったディナーパーティーでした。


<ディナーパーティーの様子。大変すてきなパーティーでした。>

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サンタ・ローソク

2000.12.17
 この家では、サンタクロースが沢山いました。(といっても人形ですが...)
 ユニークだと思ったのがみつまたの燭台の上に山の形にロウソクを三本差して火をつけるのですが、 そのロウソクに親指サイズののサンタクロースが抱きついているのです。 お猿が木に抱きついているのは見た事があるのですが、サンタ・バージョンは初めてでした。(笑)

 ちなみに、「ローソクが短くなってきたら放っておくのか?」と尋ねたら、「サンタさんが熱がる前に取り外す」とのことでした。

 家の外に出てみると、綺麗な電飾が施されていました。そんななかで、3階の窓に1mほどの背丈のサンタの人形が飾ってあります。 そのサンタは、窓から外を眺めている..という感じで飾ってあります。 聞いてみると、スエーデン・スタイルだそうです。 (以前そんな写真を見た事がありましたが、あれがそうなんだなぁと思い出しました。)


<サンタのローソクです。後ろはスエーデン出身のおばあさん。屋根裏部屋の窓から見えるサンタクロースです。>

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オーロラ観察2夜目

2000.12.17
 昼までは快晴であったフェアバンクス周辺も少しづつ雲が覆ってきました。 夕方にはしっかりと曇りになり、ディナー・パーティが終わって、外に出てみると、木星の光がやっと雲のすき間からぼんやりと見える感じでした。 今夜はオーロラは難しいかなぁ...と思いつつホテルに帰って準備をしてオーロラ観察に出かけました。 目的の場所は、いつもの森の入り口まで約15分程のドライブです。

 このハイウエイを進むと森のトウヒの木立が徐々に道路に迫ってきます。やがて道の右手にパイプラインの見える場所となります。 といってももあたりは闇ですので、パイプラインは見えませんが。そしてトウヒの木立が深くなるこの辺りから中央分離帯がなくなり対面交通となります。
 いつものように気持ちよく走っていると、突然対向車がハザードを出しました。 その車はすぐにハザードを止めてそのまま走り続けバックミラーの視界から消えてきました。
 「?」と思いながら、さて何の合図だろう...ネズミ捕りなんかやってる訳ないし、自分は制限速度で走るので、 問題ないし....いやそんな程度の事ではないだろう。

 道がカーブになっているので、不意の出来事に備えるため減速していきました。 もしかしたら交通事故とか車が道のまん中で立ち往生しているかもしれない。いや、待てよ!ひょっとして!巨大な....

 先ほどのハザードを出した車とすれ違って約200-300mほど進んだ所で、次の対向車が見えてきました。 自分の後続車との車間距離もまずまず。と、その時ライトに浮かび上がった巨大な黒い影が見えました。 減速していたので、パニック・ブレーキにはなりませんでしたが、予想は適中しました。

 その物体は「ムース」でした。体重は500kg-700kgにもなるヘラジカです。こんなのが車にぶつかったらひとたまりもありません。 うまい具合に対向車もムースに気が付いたようです。 道の中央につったっていたムースも対向車の前を通りすぎて、やがてトウヒの森の闇に吸い込まれて行きました。

 そこから、少し行った所がオーロラ観察の森の入り口ですが、ついてみると、雲が空を覆ったままです。 日付けが代わりそうな頃、雲の向こうに薄く光の動きが感じられますが、オーロラが見えたとは言いがたい状況です。

 しばらく待ってみても、回復の兆しがないので、やむなく帰りました。


<パイプラインのパーキング前のハイウエイ....この辺りでムースに出会いました。>


(とりあえず、おしまい...ただ今作成中です。)

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