アラスカ日記2000(2月5日〜2月14日)
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2/13(日)のお話し
飛行機の搭乗が始まったのが12時半。つまり,ここから日付
は変わります。
時分の座るべきシートを見てびっくり,なんと8Aという
のは,1〜7までがファーストクラス。そして壁があって,
自分の席です。つまりほとんど,チェックイン一番乗りだった
ようです。
おまけに,窓は3つ分あり,最高のポジションで飛行から
オーロラを眺めることができるはずです。
今度は,早く上空へ上がらないか...時間が長く感じられます。
やがて,飛行機はゆっくりと滑走をすべり,空へと飛び上がり
ました。うす雲がきれ飛行機の姿勢が安定してきた頃,ちょうど
北東の,ちょうど地平線の上のべガあたりに,薄くひかる筋が
現れました。とても,小さいけれども,その光の筋はじょじょに
長くなり,やがて北西のそらまで伸びるアーチとなり,オーロラ
にまちがい無い光になりました。しかし15分もすると,その光は
うすくなり消えてきました。
消え方を見ていて思ったのは,今週何度も見た「次から次へと
現れては北に小さくなり消えて行くのを繰り返す」というパター
ンに思えました。
1時間以内に次が現れる。そう信じて待ちました。ところが
5分もしないうちに,北東の地平線,べガの右のあたりに,先
ほどよりはずっと明るい光の筋が現れました。
こんどは先ほどとは違って,大きな明るいアーチのオーロラ
となり,また幾重にもカーテン状の光が舞っています。時には
その一番下が所々非常に明るく揺れてみえ,すばらしいオーロラ
となりました。
いつまでも見飽きることなく,その光を存分に楽しむことが
できました。とはいえ,欲張りなもので,あの下へ行って
オーロラを見たいなぁと思いました。無理ですけど。
ところで,飛行機は南へ南へ進むわけですから,窓一杯に
見えていたオーロラも時間が経つにつれ、飛行機は南へオーロラ
から遠離り、やがて少しづつ小さくなっていきます。
そのうち,窓から見える白鳥座〜わし座にかけての天の川と
同じ位の大きさというか,小ささになってきました。
しかし、飛び立ってから3時間ほどして,飛行機が高度を下げ
始め,バンクーバーの明かりが見え始める場所に来ても,まだ
地平線の少し上にはかすかなオーロラの光の筋が見えています。
ゆっくりと高度を下げる飛行機,やがて,視界がシアトルの
街の明かりに包まれるころ,とうとうオーロラの光は見えなく
なってしまいました。アラスカ時間で2/13午前4時,シアトル
では同日午前5時,そして日本では同日の22時のことでした。
シアトルの空港には5時半に降り立ちました。ふたたびここ
で,大阪へ帰る飛行機のチェックインです。ところが6時半に
ならないと,国際線のチェックインができないとのこと。
そして,飛行機の出発は実は7時間後の12時半なのです。
とりあえず,1時間ほどあるので,速い朝食をたべました。
例によってシアトル国際空港のうどんと,クラムチャウダー
です。「うどん」のあるお店は24時間営業なのかこんな時間
でもやっていました。
そして,ふたたびチェックインカウンターへ,次は太陽が
まぶしいのと,ベーリング海峡やカムチャッカ半島が見える
かもしれない,進行方向右側の窓側を頼みました。こちらも
すんなり取ることができました。
ところが,リュックと手提げカバンを持っているのを係員が
見て,どちらか預けて下さいとのこと。来るときには問題の
なかったスタイルが,帰りではチェックが入ってしまいました。
すでに2個もスーツケースを預けているので,追加料金をとら
れるかと思ったのですが,無料とのことで安心しました。
リュックにはクツとジャムしか入れてないので,こちらを預け
ました。
そして,来るときにも寄ったパソコンコーナーへ,10時
オープンなのでまだ3時間ちょっとあります。近くのソファー
でアラームを3つかけて寝ました。なんか,熟睡しそうで,
ちょっと怖かったのです。
といいながら,10時すこし前に目がさめ,結局アラームの
お世話にはなりませんでしたが...
パソコンコーナーで,メールを送ったりして11時になった
ので、出発ゲートへ向かいます。
そして,いよいよ,この飛行機で日本へ帰ります。ところが,
今まで見たことのない光景に出くわしました。なんと全員の
手持ちカバンのサイズをチェックしているではないですか。
私はすでにリュックを預けていたので,この時にはあまり心配
ではなかったのです。チェックの方法は、サイズを測るための
箱の中に入ればOKで,入らなければ,再び預けるハメになり
ます。でも預けるのは無料のようなので,みんな安心している
ようです。
私の番になり、「手提げカバンと,さらにビーフジャーキーを入れていたビニール袋を全部その箱に入れろ」といわれましたが,両方入れても大きさはOKでした。それにしても,持ちこみ荷物のサイズ,ましてやビニール袋までものサイズを測られたのは初めてのことでした。
といいながら,免税品の受け渡しは,さらに進んだ飛行機本体
の扉の手前でやっています。つまり免税品は,持ちこみのサイズ
の計測に入っていないことになり,これでは,ゲートでやって
いる「ビニール袋まで入れろ」という指示でサイズを測っている
こと矛盾するではないか...公平なアメリカという私の印象を
砕いてくれる場面でした。
乗り込みの不思議な場面を見た後、順調に飛行機は飛んで行き
ました。しかし窓の外は雲.雲.雲...とう状態がずーっと続き,
アラスカやベーリング海峡,カムチャッカ半島などほととんど
見ることはできませんでした。
途中ふたたび不思議なアナウンスが。なんと予定より30分
速い16時ちょうどに大阪へ着くという話です。2年前にも1時間
遅れでシアトルを出発しながら,なぜか定刻に大阪に着いたこと
を思い出しました。風なども影響するので,そのひの天候によっ
ても違うのかな...などとも思いました。空の上ではスピード違反
なんてものはないと思うので,安全な範囲内で早く着くのは
うれしいです。
そして日付変更線を超え2月14日に。
やがて大阪の関西空港に予告どおりの30分早めに,
そして無事に着き,私のミレニアムなアラスカ旅行も
終わりました。
(おしまい)